猫エイズの猫を飼うと決めたときのこと
「どうせ、すぐ死んじゃうんでしょ?」
「人間にもうつるんじゃないの?」
猫エイズと猫白血病のあいを家族に迎えると決め、人に「猫エイズです」と伝えたとき、そんなふうに言われたことが、多くありました。
実際、私も、動物病院で「猫エイズ」と診断を受けたときは、その名前のインパクトに頭がまっしろになり、足が震え、最悪の未来を想像していたことを思い出します。
インターネットで調べても、その当時は最悪の未来を伝える記事ばかり。獣医さんも「多頭飼いは不安ですね」という感じでした。
最初は私も心配になり、あいだけを隔離でお世話できる一室のある家を探しました。だけど、そばにいるうちに愛情はどんどん強まり、家族なのにあいだけ一緒にいられないなんて悲しい。そう考え直し、他の猫とも同じ部屋で過ごすことに。
とはいえ不安とはいつも隣り合わせ。毎日のようにインターネットにしがみつき、時間をみつけては調べてるうちに、だけど少しずつ、猫エイズに肯定的なサイトもみつかってきたのです。
一緒に暮らしても、血が出るほどのケンカをしなければ、他の猫への感染はほとんどないこと。
感染(キャリア)と発症は別物で、感染していても、発症しないまま生涯を終える子もいないわけではないということ。
それを知った私は、あいについてのブログをはじめ、そのことを発信するようになりました。
病気の猫との暮らしを綴るブログが人気を集め、書籍化されることに
猫エイズを知ってほしい。ネガティブな情報しかない世界にひとつの光をともしたい。
何のつながりもないままはじめたブログ。ところが、しばらくすると、ブログのシステム会社を通じて、出版社から書籍化の話がまいこんだのです。
ゴマブックスより『ちいさなチカラ あいとセリ』として書籍化され、テレビの取材を受けた編集さんは言いました。
「咲セリさんは自分自身も心の病気を抱えています。そんな人が、体の病気を抱えるあいちゃんと過ごし、ふたりは、飼ったり飼われたりしてるんじゃない。一緒に〝生きて〟いるんです」
そのことをきっかけにブログの読者さんは増え、中には、「自分も猫エイズの子と暮らしています」という方も現れました。知られていないだけで、病気とともに「生きている」命は星の数ほどいたのです。
あれから長い年月が経ち、今、インターネットで調べると、「猫エイズを知る」というサイトとあたりまえのように出会えます。
保護団体さんも、猫エイズの子を保護し、前向きに里親探しをしています。そして、そんな猫エイズキャリアの子を、進んで迎え入れてくださるおうちも、少なからずあるのです。
今、我が家には、一匹の猫エイズキャリアの猫がいます。
半外飼いをしていた近所のおばあさんの家の子で、そのおばあさんが亡くなり、置き去りにされてしまった子。
我が家に迎え入れると決め検査を受けて、猫エイズ感染が分かったとき、だけど何の心配もしませんでした。だって、あいに、そして、この世の中の数多いキャリアの子たちに、もう教わっていたから。「大丈夫だよ」と。
その子――「でかお」は、とても優しい子でした。他の猫の毛づくろいをして、寄り添って寝ます。もう推定12歳。保護して7年が経ちますが、発症の「は」の字もありません。
最初は「猫エイズキャリアです」といちいち書いていたブログにも、最近ではそんなこと書くのを忘れるくらい。
人間も、これまで障がいだと言われていたことが、「多様性」だと受けいれられる時代。猫たちも、病気や障がいを「個性」だと抱きしめられる世界になればと、私は毎日、キャリアの子にもノンキャリアの子にも、しあわせをもらっているのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」