不安障害の最中、保護団体の女性との出会い
人間という人間が怖い――。猫エイズと猫白血病のあいを保護したころ、私は心の病気――特に不安障害を抱え、人と接することに極度の恐怖心を抱えていました。
とにかく人に会わないでいよう。引きこもっていよう。ずっと、そう考えていたのです。
だからそんな矢先、あいを保護した際に私にあたたかい言葉をかけてくださった保護団体さんが、保護猫たちのためにバザーをすると知り迷いました。ごあいさつくらいしておきたい。でも、外は怖い。
結局、勇気を出して、だだっぴろい市内のフリーマーケットに出向くことに。頭をなぐられるほどの人々の嬌声。ぶつかる肩。私は荒くなる息を必死でこらえ、その団体さんのブースに行きました。
そこにいたのは、背の高い褐色の女性でした。遠くからみつめる私に気づくと、女性は、「はじめましてー!」と大げさに手を振り、歓迎の笑顔を向けました。とって食われる――。冗談じゃなく私はそう感じるくらい、どきどき。
ですが、私の困惑を察してか、女性は少しずつ柔らかいかたちに声色を変え、あいを家族に迎え入れたことを感謝してくれたのです。
そう。このときは、まだ想像もしていませんでした。それから十年以上が過ぎて、また再会することになろうとは。それも、猫のことだけでなく、精神をはじめとする「障がい」のことをきっかけに――。
私は、ありがたいことに、その後、ノンフィクションを文章にするお仕事をいただくようになり、そのときも猫にまつわる何か現実の物語がないか探していました。
そして、ふと、かつて接したことのあるその女性を思い出したのです。
団体名を検索して驚きました。団体が大きな保護シェルターを持つために引っ越ししただけでなく、そのシェルターは、精神障害や発達障害、知的障害などを抱える方たちの、就労支援の場として使うB型作業所へと新たな誕生をとげていたのです。
「生きづらい」人が、保護猫の世話をする場所
早速、連絡をとり、取材に行かせてもらうと、そこにいたのは、私と同じような「生きづらい」人たち。はじめての私の出現に、あのときの私のように、みんな、少し不安そうな顔をし、でもやがて、ぽつりぽつりと話をしてくれました。
50代前半の知的障がいを持つ小柄な男性は、その上、心の病気も患い、長年薬を飲んでいるといいます。毎日、目が覚めたら、何をするより先に涙を落とす――。そして、四六時中「死にたい」と思いながら、歯ぎしりをするように、日々を生きているのだというのです。
「せやけど、死んだら、もう猫に会われへんもんな……」
最近保護された子猫の頭を指で撫でると、自分を納得させるように、聞こえないほどの声で頷きます。
シェルター内にいる猫たちを隙あらば抱きしめて放さないのは、つい1週間前にその就労支援施設に仲間入りしたばかりの40代半ばの男性。めがねをかけた彼は、和気あいあいとくつろぐみんなの中で、ひとり、まだふさぎ込んだ表情をしています。
「僕は、福祉に捨てられたんですわ……」
抱きしめた老猫をそうっと撫でながら、その優しいしぐさとは裏腹に、口惜しそうに彼は話します。これまで7軒の就労支援施設を転々としてきたけれど、どの職場でも長続きしなかった彼。理由はいじめだったのだそう。
「障がい者からもあぶれた僕は生きていてもしかたない。それでも、ここでは猫が僕を必要としてくれるから、なんとか明日も生きていくんです」
かつて、私があいに救われたように、猫は生きづらい人たちの心の支えになる――。
そして、生きづらい人たちは、何もできない人たちじゃない。繊細な心を持っているからこそ、猫に愛を注ぎ、そのことで救われる命がたくさんあるのだと。
片方が一方的に助けられる「尽くすボランティア」ではなく、助け合える世界を。「おたがいさま」のボランティアが、今、生まれようとしています。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」