真夜中に保護したある生き物
真夜中のことでした。猫エイズと猫白血病の猫「あい」と新しい家に引っ越してすぐ。夜になると一切の音が絶えたしんとした田舎の住宅街に、急に、重い悲鳴のような動物の声がしました。
わが家の近所には、羊を飼っている施設があり、もしかして、そこの羊にいたずらをしている人がいるのでは……と、慌てて外に飛び出します。
メエエエ。メエエエ。助けを呼ぶ声。私と夫は、羊のいる施設目指して、街灯のほとんどない道路をおそるおそる歩きました。羊らしき声が近づきます。でも、おかしい。施設はまだまだ先のはずなのに、すぐ近くで声が聞こえる。
目をこらすと、道路のわきの溝蓋の隙間に、うす汚れた、もとは白かっただろう犬がはさまっていました。二人がかりで溝蓋をどけ、必死で犬を抱きあげます。犬は悲壮な声をあげ、それでも私たちに敵意がないことを悟ると、なされるがままにしがみつきました。
助け出して、さて、どうしよう、と途方にくれます。犬はふらふらとどこかをめざし歩みを進める。おそらく痴呆が入っているのでしょう。
明るいところまで連れていくと、その顔に見覚えがありました。うちから5軒くらいはなれた老夫婦の家の犬に違いないと。夜中も1時を回り、さすがに直接訪問はためらわれ、警察を呼びました。間に入ってもらい、犬は無事、老夫婦のもとへ。
犬用の部屋の中に入れていても、ときどき痴呆の症状が出て、徘徊をしてしまうのだと。今日は、つい、部屋の隙間が開いていたのだと、申し訳なさそうに、だけど、犬が無事だったことを心底うれしそうに、後日、わが家にお礼のお菓子を持ってきてくれました。
それから、その老夫婦とは世代を超えて仲良くなりました。家庭菜園というには大きな畑を持っているご夫婦は、時々、採れたての野菜を持ってきてくれます。私たちは、遠出をするたび、小さなお菓子を差し入れしました。
そんな関係が続いてどれくらい経ったでしょう。時々、聞こえていたあのメエエという声はなくなり、老夫婦の家の前に、等身大くらいの犬の置物が置かれるようになりました。
きっと、亡くなってしまったんだな、と心で気づきつつ、確かめられないまま、私たちは天気の話などを時々します。
老いていく動物を看取るという覚悟
わが家の猫たちも、だんだんと歳を取り、最年長で19歳半。他の子たちも、シニアと呼ばれる年齢になりました。おかげさまで、まだ足腰元気にしてくれていますが、19歳半のぴょんは、どれだけごはんを食べても足りないといったふうに、鳴きだしては止まらないこともあります。もしかしたら、少し痴呆が入っているのかもしれません。
いつか、見送らなければならないことは、胸が張り裂けそうなほど苦しいけれど……。置いていくより、看取る方がずっといい。
あの老夫婦も、けっして自分たちも長くはないだろう年齢で、どっちが先か、と犬を愛していたのだと思います。
生まれたての動物は申し分なくかわいい。だけど、かわいい時期は、あっという間。手がかかるようになって、未来を案じるようになって、愛おしさは増します。
今日も、実家に帰ったときのお土産を渡すため老夫婦の家を訪れ、玄関前、雨風にさらされた犬の置物をそっとなでて、老猫たちの待つ愛しい帰路につくのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」