• 生きづらさを抱えながら、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていた咲セリさん。不治の病を抱える1匹の猫と出会い、その人生が少しずつ、変化していきます。生きづらい世界のなかで、猫が教えてくれたこと。猫と人がともに支えあって生きる、ひとつの物語が始まります。猫を愛する咲さんが、猫に焼きもちを焼いていた頃のお話。

    猫に焼きもちを焼いてしまう

    メールカウンセラーとして活動する私のもとへは、さまざまなご相談が届きます。

    中でも、私自身が幼い頃に親からの愛情をうまく受け取れなかったことによる「愛着障害」を抱えているため、同じように、親の愛を信じられない自己肯定感の低い方や、その親御さんからの相談をいただくのです。

    「娘が、飼い猫にすら焼きもちを焼いて、暴れるんです。どうすればいいでしょう」

    一般的な人なら、「え、猫にまで?」と驚かれるかもしれません。

    猫を、とてつもなく愛している人なら、「そんな子どもに猫を飼う資格はない」とすら憤ってしまわれるかも。

    だけど、私も同じだったんです。かつては、猫を大切にできない人間でした。

    私は、猫エイズと猫白血病の猫「あい」と出会うまで、猫はただの「ペット」でした。もちろん、かわいいと思っていたし、病気をすれば心配しました。

    それでも、自分が一番大事。というより、親に、自分を一番大事にしてほしいという願いがかなわなくて、足りない心を持て余していたのです。

    だから、今の夫と一緒になり、あいや他の子たちと暮らすようになってからも、私は時々、猫を使って、夫の私への愛を試すような行動をとりました。

    夫のいない部屋で猫を怒るふりをして、そのとき、夫が駆けつけるか、そして私をなぐさめてくれるか、愛をはかりたかったのです。

    今思えば、おろかな行為だったと思います。

    それでも、その時の私には切実な愛の渇望でした。

    画像: 猫に焼きもちを焼いてしまう

    私の育った環境、親のこと

    私の生家は父親からのあたりが激しく、私は「できそこない」「くず」と言われ育ちました。やがて家庭内暴力をふるうようになった私に、母はどうすることもできず、怯えるようになりました。

    「私なんて、この世にいらない人間だ」「できることのない、役立たず」。

    私は、ずっと、そう信じ込んで、人生から逃げて生きてきました。

    そんな人間なのに、傷ついた猫を見ると放っておけないのは、愛ではなく、さがのようなものでした。しかも、そうして手を差し伸べるのに、私は自分にいっぱいいっぱいで、結局、その猫の「親」になるだけのゆとりを持っていなかったのです。

    何度も、夫に訊きました。

    「猫と私、どっちが好き?」

    夫は答えます。

    「どっちも」

    私は泣きながら食い下がります。

    「うちの子の中で、私を含めて、誰が一番大切?」

    「みんな、一番」

    私は納得できませんでした。結婚してまで、私は一番になれないのだと、ひそかに猫をねたみました。自分が飼うと言い出したくせに。

    それから、ライバルである猫たちと、夫を取り合いながら過ごして――。

    やがて、猫たちは、長くはない一生を懸命に生き、その生涯を閉じ――。

    そのうちに私は、ゆっくり、ゆっくり、猫たちの大好きな夫に、もっと、猫たちのそばにいてあげてほしいと思うようになりました。私より、猫を優先してあげてほしいと。

    だって、この子たちの猫生はあまりに短い。

    ある時、ふとそう言うと、夫は私を抱きしめてくれました。そして子守唄のように囁きます。

    「セリちゃん、好きだよ。大好きだよ。ありがとうね。猫に優しいセリも、優しくできないセリも、同じように大好きだよ」

    その瞬間、私の中の欠けた思いが、ふわあっと昇華されるのを感じました。

    どんな私でも受け入れられる喜び。そしてそれは、夫からだけではありませんでした。

    力不足の私にも同じように親愛の情を傾けてくれる猫たちからも、私は愛をもらっていたのです。

    「猫を飼えば、生きづらさは治りますか?」

    時々、そんな相談を受けることがあります。

    猫に生きる力をもらったと発信する私に、わらにもすがる思いなのでしょう。でも、私は言いきります。

    「自分のことを後回しにしなければならず、よけい苦しくなるかもしれません」と。

    画像1: 私の育った環境、親のこと

    そして、それでも、自分が楽になるためではなく、猫を愛することで愛される喜びを受け取れるなら――。

    その人は、そのときから、もう、「悲しい子ども」ではなくなるのだと信じています。


    画像2: 私の育った環境、親のこと

    咲セリ(さき・せり)

    1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。

    ブログ「ちいさなチカラ」



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