50歳を超えての免許取得には「乗る」理由がある
「とにかく毎日少しでもいいから運転しなさい」とも言われた。
怖くて乗らないでいると本当に乗れなくなっちゃうから、と。
確かにそうだろう。このままイヤだイヤだと思っていると、あっという間に運転の仕方など忘れてしまいそうだ。
自動二輪がいい例だ。二十代で免許を取ったまま一度も路上で乗らなかったので、クラッチもアクセルもブレーキもみんなすっかり忘れっちまったよ。
毎日乗るといっても、その気の重いこと。
車の鍵と免許証とメガネを持って出かけるときは、いつも飼い猫と水盃を交わすような気分であった。厳かな気分で、「行ってくるからな」と出て、アワアワと駅の方面や近所のスーパーまで行って速攻で帰って来た。
高校の同級生で、やはり少し年齢がいってから免許を取った友人と話すことがあった。旦那さんの転勤で地方の町に住むことになり、彼女も通勤に車が必要になって免許を取ったのだそう。それでもやはり怖くて怖くて。
毎日仕事から帰ってくると、「あ〜、怖かった〜」と床に突っ伏してしばらく休まないとならなかったそうだ。
また別の同い年の友人は、ご両親が施設に入ったので、そこへ行くために運転をするようになったのだそう。
「免許取ってから二年間は怖かったよー」と言っていたのを聞いて、まだ免許を取りたてだった当時は、「そうか、二年頑張れば慣れるんだな」と思ったものだった。
ところがどうだ、もう三年経つ。まだ運転に慣れたとは言い切れない。「慣れたころが危ないんだからね」という言葉も多くの人から聞いた。
それもまた真実と思え、「慣れたと思っちゃいけない」と緊張しているところもある。
運転に自信のない人は、免許取得から一年以上たっても若葉マークをつけていてもいいと言われたので、三年目でもまだ車体の前後に若葉マークをつけて走っている。
車に対する愛と感謝は増すばかり
運転はオロオロしているものの、車に対する愛と感謝の念が日に日に増しているのは自分でも意外なほどだ。
ドラッグストアなどで買い物をして、外の駐車場でおとなしく待っている我が車を見ると、その姿が愛おしく、
「パッちゃん(車の愛称)、かわいいね、お待たせでした。おうちに帰ろうね」と心で声をかけながら、車に近づいていくのだった。
少しは「ライフが変わった」かもしれない、と思う瞬間だ。
本記事は『六十一歳、免許をとって山暮らし』(亜紀書房)からの抜粋です
平野 恵理子(ひらの・えりこ)
1961年、静岡県生まれ、横浜育ち。イラストレーター、エッセイスト。山歩きや旅、歳時記についてのイラストとエッセイの作品が多数ある。著書に『五十八歳、山の家で猫と暮らす』『わたしはドレミ』(亜紀書房)、『にっぽんの歳時記ずかん』(幻冬舎)、『手づくり二十四節気』(ハーパーコリンズ・ジャパン)、『草木愛しや 花の折々』(三月書房)、『こんな、季節の味ばなし』(天夢人)、『きょうはなんの記念日? 366日じてん』(偕成社)、『あのころ、うちのテレビは白黒だった』(海竜社)、『庭のない園芸家』(晶文社)、『平野恵理子の身辺雑貨』(中央公論新社)、『私の東京散歩術』『散歩の気分で山歩き』(山と溪谷社)、『きもの、着ようよ!』(筑摩書房)など、絵本・児童書に『ごはん』『おひなまつりのちらしずし』(福音館書店)、『和菓子の絵本』(あすなろ書房)など、共著に『料理図鑑』『生活図鑑』(越智登代子、福音館書店)、『イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑』(澤宮優、角川ソフィア文庫)など多数がある。『天然生活手帖2024』(扶桑社)では、絵と文章を手がける。
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