子猫の里親探しで出会った、繊細な女性
「私も生きている」
苦しいとき、そんなメッセージが何よりの支えになることがあります。
私には、今はもう会っていない、だけど世界一の親友がいます。
彼女との出会いは、子猫の里親探し。いつもの動物病院に行くと、今にも転びそうな三匹のかよわい子猫がいました。訊くと、患者さんのお友達が通勤中ダンボール箱に入っているのをみつけ、いたたまれずSOSを出したのだといいます。
私は早速、里親探しのお手伝いを申し出ました。
当時はインターネットでの里親探しが、まだ一般的ではなかった時代。不信感もありながらのスタートでしたが、愛らしい子猫に、お問い合わせは、ぽつり、ぽつりと舞い込みました。
その中の一人。三十五歳くらいの、私より少し年上の女性。長い黒髪をキャスケットに入れて、物静かに動物病院に足を踏み入れた彼女は、子猫のうちの一匹を抱きしめ、そのまましゃがみこんだのです。
彼女の肩が小刻みに揺れています。泣いているのだと分かりました。
彼女は言います。
「自分が一人暮らしをはじめたと同時に飼い始めた猫が、つい先日、亡くなってしまった。この子猫がまるで生まれ変わりのようにそっくりで、こらえきれなかった――」
私は里親探しをする際、絶対に、その場で渡すようなことはしません。最初はお見合いだけ。後日、先方の家までお届けにあがり、里親詐欺などの間違いがないよう張りつめていたのです。
だけどそのときは、彼女の涙にどうしてもこの子猫が彼女のそばにいなければならないような気になりました。
車で来たという彼女。私と獣医さんは相談し、その日のうちに彼女のおうちに子猫を届けることにしました。
連なって彼女の家まで走る中。獣医さんと緊張が交差します。この直感は正しいのか。本当に子猫はしあわせになれるのか。
子猫を届け、そこから生まれた交流
結果は――大成功でした。
たどりついた彼女の部屋は申し分ない広さで、さらに言うと、まさか今日子猫を受け取れるとは思っていなかったことが分かる等身大の散らかり具合。そして、亡くなった猫ちゃんを心の底から愛していたと感じるグッズの数々。
子猫は彼女の家の子になり、毎日のように、彼女からは写真つきの連絡がくるようになりました。
それだけではありませんでした。
繊細に見えた彼女は、どこか共通のものを感じた私の直感のとおり「生きづらさ」を抱えていて、私の良き理解者になってくれました。
私も彼女も、幼少期、家庭環境があまり安定していなかった者同士、あたたかい家族を作りたいと切に願っていたのです。
迎え入れた子猫を「うちの子」と言い、「せりっこの子は今何してる?」と毎日、ネットゲームのチャットで会話します。ときには家にパジャマでおじゃまし、手料理をふるまってもらったこともありました。
猫が縁で、人づきあいがへたくそな私たちは、昔からの姉妹のような親友になったのです。
「私はね、友情も恋愛みたいなものだと思ってるの。一生は続かない。でもだからこの瞬間、世界一大切にする」
彼女はそう言って、私を愛してくれました。私も彼女を愛しました。そうして、時が経ち、少しずつお互いに自立して、それぞれの道を歩み始めました。子猫が親元から巣立つように。
今では、昔のようなベタベタな関係はなくなってしまいました。
それでも、猫がいるかぎり、「今日も生きてます。うちの子も――私も!」の一文が、生きづらい私たちをつなぎ、明日を生きる不器用なチカラになるのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」