(『天然生活』2023年9月号掲載)
自然に包まれた古民家で珈琲と読書の豊かな時間
神奈川・北鎌倉「珈琲 綴(つづる)」
コーヒーの香りがする席に座り本の世界に浸る喜び
北鎌倉の小さな山の上に佇む「珈琲綴」は、“市中の山居”という言葉がぴったりの趣深い古民家です。住宅街の閑雅な路地をたどって稲荷神社の前を曲がると、道は突然山道に変わります。
まさかこんなところに、と驚きながら細い階段を上がった先に、風雅な木戸門が現れます。店主の髙橋さんは、茶室と庭と井戸の残る、推定築80年ほどのこの平屋にひとめ惚れして珈琲店に改修しました。
初めて訪れた日のこと、玄関の引き戸を開け、靴を脱いで廊下を進む途中で、帰る人とすれ違いました。
足音ひとつたてないその人の動作からは、静謐な珈琲空間への敬意が感じられました。
店内は素晴らしい環境で、窓一面にみずみずしい緑が輝いています。小鳥の鳴き声や古ぼけた柱時計が時を刻む音が聞こえるほど静けさが保たれているので、読書にも季節を愛でるにもぴったり。
デミタス珈琲とガトーショコラを味わううちに、ここには求めているものがあるという手応えが胸に広がりました。
めまぐるしく変わる世間の流行から離れて、決して器用ではない手つきで、自分の理想の珈琲店のありようを実現しようとする人の気配です。
そういう珈琲店には、数は多くなくても、切実にそのお店を必要とする人々が訪れるのでしょう。
初めて来店した人がリラックスして店内を移動できるよう本棚を設けたり、珈琲抽出カウンターに向き合って座る人が緊張しないようにうつわを並べた棚で仕切ったりと、すみずみまで心配りがなされた空間。2杯目を注文した人は店奥の茶室で過ごすこともできる。雪見障子を透かして木々の緑が室内を染めるさまが美しい。
自家焙煎珈琲の名店で修業した店主の髙橋さんは、「綴」という店名にみずからの思いを託していました。
人生に迷いと悩みを抱えていた時代に、極上の珈琲と静けさを提供する珈琲店の椅子に座り、持参のノートを開いて頭の中にあることをただひたすら書き綴る習慣に救われていたのだといいます。
好きな組み合わせ
デミタス珈琲とガトーショコラ
ネルドリップならではの濃厚な風味が楽しめるデミタス850円と、ラムが香るガトーショコラ500円。手廻しロースターで焙煎する珈琲は、ブレンドもシングルも豊富にそろい、濃さも選べる。
珈琲 綴
住所:神奈川県鎌倉市山ノ内1310
営業日:9:00〜12:00、13:00〜18:00
定休日:火〜木曜
インスタグラム:@coffee.tsuzuru
※喫茶は1組2名まで。雑談、パソコン使用は不可
<取材・文/川口葉子 撮影/萬田康文>
川口葉子(かわぐち・ようこ)
ライター、喫茶写真撮影家、カフェイン中毒。約30年にわたり全国のカフェや喫茶店を訪れてきた経験をもとに、書籍やWebなどで記事を執筆中。著書に『東京の喫茶店~琥珀色のしずく77滴』(実業之日本社)、『東京古民家カフェ日和』(世界文化社)、『京都カフェ散歩~喫茶都市をめぐる』(祥伝社)ほか多数。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです