• 熊本県で暮らす作家・エッセイストの吉本由美さんの、自分らしい歳の重ね方についてのエッセイをお届けします。歳相応のイメージを払拭して、自分が目指すスタイルを大切にすること。自分の好きなものを大切にする生き方がとても素敵です。
    (『天然生活』2022年12月号掲載)

    歳相応でなくっても

    私のおばあさん初体験

    子供を産むとか孫ができるとかの歳相応のことをやってこなかったので、私は自分がおばあさんであることに気付いてなかった。

    ジーンズに白いシャツ着て颯爽と街へお出かけしたある日のことだ。

    バスの中で吊り革に掴まっていると隣に立っていた少女から「おばあさん、あそこの席空いてますよ」と声を掛けられた。

    一瞬誰に言っているのかがわからず横や後ろを振り向いたものの、少女の目がジッとこちらを見つめているのでやっと自分に向けての声掛けとわかった。

    親切心なのはわかっているし、実際髪は白いしシワくちゃなのだから仕方ないとは思うのに、“おばあさん"という想定外の言葉にびっくりして「私!?」と声を立ててしまった。

    そのきつい口調に少女はハッと顔を赤らめ小さな声で「すみません」と言った。なんて嫌味なババアだろうか。

    「ううん、ありがと」。自分を恥じて席に着いたが、その気まずいワンシーンが私のおばあさん初体験である。

    確かに自ら「もうおばあさんだからさあ」と口走ることはある。自嘲気味に笑いを込めて。

    けれど見ず知らずの相手からダイレクトに言われてしまうと、頭と心はまだまだ40代50代をうろついているから対応に戸惑う、というか納得いかない気持ちになる。

    けれども世間の目にはまごう方なきおばあさん…。このギャップをどう埋めるかが今後のテーマになってきた。

    着物を着ていなくても“おばあさん”

    私はこの夏74歳になった。数字上も充分におばあさんだ。しかし光陰矢の如しのせいか、その年月に頭が心が追いつかない。74歳は祖母が亡くなった年齢だ。

    同じ74年でも私の薄っぺらい人生とは異なり、その歳月には二度の結婚、子育て、家族という奥行きのある充実した日々が積み重なっている。

    生涯を着物と草履で通した。そのせいか小さい頃は“おばあさん”と呼ばれる人は着物を着ているものだと思っていた。おばあさんの境地とは着物なしでは語れない、と思っていた。

    けれど74歳の今、自分はどうかと問われれば着ていない。だからおばあさん呼ばわりにびっくりしたのか。母から、先輩から、譲り受けたものがわずかにあるけれど、着物を着る“気分”というか“きっかけ“というか“覚悟”がなくて箪笥の肥やしになっている。

    同じ理由で茶道、華道、書道、俳句などの“美しく歳を重ねる要素”のどれにも馴染めない。仕事の遍歴は多いものの、頭も心も40代50代、いや20代30代から大して変わってはいないのだ。要するに幼稚さから脱皮できないままここに来ているわけである。

    それを困ったことと思った時期もあったけれど、先が見えてきたここ数年はあるがままでいようと決めた。無理して“らしさ”に身を染めると自分がどんどん薄まっていく気がする。

    誰も彼もが40過ぎたら着物着てお茶やって俳句も嗜んでいる…という“らしさ”世界が気持ち悪い。

    自分は自分だ、はぐれてていい。なんて言ってるから「深みがない」とのご指摘を受けるのだろう。けれど深みがないのが自分の個性だ。それが何か? 誰も彼もが深みある人物としたらそれこそ息苦しい世界になるじゃん?

    背中を押してくれた2枚の写真

    画像: 背中を押してくれた2枚の写真

    というわけで格好も歳相応は拒否してきたのだ。最近は変わったが私が50、60代の頃雑誌に紹介されていたシニア・ファッションが嫌でたまらなかった。若ぶりたいわけではないが着慣れたカジュアルな格好が好きだった。40代半ば、それを後押ししてくれた写真が2枚ある。

    1枚は画家ジョージア・オキーフがサンタ・フェの自宅の庭で寛いでいる写真。よれよれのジーンズにチェックのシャツというなんでもないスタイルがなぜか自分の未来へ繋がった。未来は楽しい、と見たときなぜか確信した。

    2枚目はやはり画家アンディ・ウォーホルのパーティ会場の写真。純白のボサボサ髪に太い黒縁眼鏡、白いシャツに紺色のブレザージャケット、ボトムは着こなしたチノパンで靴だけおしゃれにフサ付きスリッポン。これだ、これ、この余裕。私はこういう格好で歳を重ねていこう、とそのとき閃いた。

    2枚とも別に奇を衒うでもなく、ごくごくトラディショナルなスタイルだ。性別年齢に左右されることなく誰もが自由に自分らしく着こなせる格好。だからこそその人となりが出る。服装は生き方なのだ。

    74歳の今も、世の中に左右されることなく中身が滲み出るような格好でいたいと思う。ということは中身も外見に負けないよう柔軟でなければならないわけだ。

    そうか、そう努力することが私流上手な歳の重ね方だろうかと、今気が付いた。



    〈イラスト/丹下京子〉

    吉本由美(よしもと・ゆみ)
    1948年熊本県生まれ。作家・エッセイスト。セツ・モードセミナー卒業後、女性誌を中心にスタイリスト・ライターとして活躍。2011年より熊本在住。現在は雑貨やインテリア、旅などについてのエッセイなどを執筆。6匹の猫たちと暮らす。著書に『イン・マイ・ライフ』(亜紀書房)など多数。

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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