アイロンかけは父の役目
“身勝手な”父のアイロンかけが、“家事”へと変わった
リビングに脚つきのアイロン台を運んできて、ダイニングの椅子を組み合わせスタンバイOK。2~3日に一度、取り込んだ洗濯物を仕分けして、ここでアイロンをかけるのが父の仕事だ。
使っているのは、スチームなど便利な機能はなにもついていない昔ながらの「パナソニック」のアイロン。
父も母も今では、めったに外出などしないので、かけるのは普段着だったり、エプロンやタオルだったり。パンツ1枚にもかけるのが、昔からの一田家の流儀だ。
「シワだらけの高価なブランドものより、洗ってピシッとアイロンをかけた安い服の方がずっとおしゃれに見えるのよ」と言われて私たち姉妹は育った。
そんな母が3年ほど前に肩の手術をし、腕が思うように上がらなくなったときから、父がその役目を受け継いだというわけだ。
父はいわゆる昭和の男で、家事を手伝うなんてことは一切なかった。
ただし、アイロンかけだけは別だ。母が元気な頃から、父はアイロンかけだけは進んでやった。
始まりは自分のシャツにアイロンをかけることだったよう。自分が納得できる方法で、ピシッとシャツを整える。
そのうち、帰省したら、私のシャツやボトムにも、ついでにアイロンをかけてくれるようになった。朝起きたら、デニムにセンタープレスが入っていて、「あちゃ~」と驚いたこともあったっけ。
几帳面な職人気質なので、その手順は完璧だ。霧吹きをシュシュッと吹いて、しばらく放置し、シワが自然に伸びた頃、ス~~ ッとアイロンをすべらせる。
シャツのカフスのダーツにも、アイロンの先端を入れて立体感を生かしながら見事にシワを伸ばすし、ハンカチは、端と端をピシッと合わせて正方形にたたんで仕上げる。
かけたいものだけかける。そんな身勝手なアイロンかけが、夫婦の毎日の生活を支える「家事」へと変わったのが、母の手術後だった。
ある日実家に帰ると、夕飯後、父がアイロン台を出してきて、自分の「グンゼ」のパンツや、母の「ユニクロ」のブラトップにアイロンをかけ始めたときには驚いた。
しかも、背骨が曲がってベランダの物干し竿に手が届きにくくなった母の代わりに、洗濯物を干す役目も父が引き受けているのだという。
「私が手伝おうとしたら『俺がやる!』って譲らないのよ」と母は笑う。男性は、役割を与えられるときちんとこなすようになる、というけれど、結婚して60年以上たって、ようやく父は家庭内での役割を見つけたのだ。たったふたつだけだけれど。
夫婦だけが知っているバランス
母が入院していた時期、私は初めて父が、電子レンジでチンもできない、洗濯機の回し方も知らない、という生活能力ゼロの男だということを知った。
そうか、母は結婚してから今まで、父が退職し家に居るようになってからさえも、家事を一手に引き受けてきたのだなあ。
その事実を知って、黙々と父に仕えてきた母の「時間」を初めて目にした気がした。
うちの夫は、率先して洗濯をし、ゴミをきちんと分別して出してくれる。夕飯後には、私が寝転んでテレビを見ている間に洗い物をし、ガスレンジの油汚れも拭きあげる……というできる夫なのだ。
普段から、家事シェアが当たり前だと考えていたからこそ、父の家庭での役立たなさに、なんだそりゃ! なんだ、その亭主関白っぷりって! と呆気にとられた。それは、「父親」を「夫」という視点でジャッジし直した出来事だったように思う。
専業主婦の母は、その立場を何の疑問もなく受け入れ、特に不満は持っていない。「私はプロの専業主婦になる」というのがその口癖だ。
そして、父は優しくないわけではない。出かけるときには、母の後ろに回ってコートを着る手伝いをするし、斜めがけしたポシェットの紐のねじれを直してやる。そのふたりの姿が微笑ましい。
つい「夫があれをやってくれない」「これもやってくれない」と文句を言いがちな私は、それぞれの役割を納得して引き受けている姿に、昭和の夫婦ならではのよさを見出した気がした。
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令和のものさしで測ると、父と母の家事シェアリングは0点だ。でも、もしかしたら、それでいいのかもと思うようになった。
今まで私にとって父と母は親であった。でも、父と母は夫婦だったのだ。一歩離れてその関係を見つめるようになった今、そこには私たちが知らない、ふたりが育んだバランスがあると知った。
夕飯後にテレビを見ながらアイロンをかける。そんな父の姿は、90歳を過ぎても夫婦の関係は進化できるのだと誇っているようだった。
本記事は『父のコートと母の杖』(主婦と生活社)からの抜粋です
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編集ライター・一田憲子さんが父と母を綴る初めてのエッセイ
昭和のモーレツ会社員で、バリバリ仕事をしてきた父。専業主婦としてそれを支えてきた母。いつまでも元気だと思っていた両親が、80代、90代になり、娘である自分がケアをしなくてはいけなくなったとき──。現在進行形で老親と向き合う一田さんの実体験を綴った、新境地となるエッセイです。
「だんだんと体力が衰え、できないことが増える。自分の親にその『年齢』がやってきていることを知ったとき、訪れたのは「恐怖」だった。父や母が弱っていくことがイヤだ。いつまでも元気でいてほしい。もしそうでなくなったら、いったいどうしたらいいのだろう。そんなジタバタを経て、『老い』を受け入れなくては仕方がない、と理解し始めたときから、私は父や母と出会い直してきた気がする」(はじめにより)
〈著者/一田憲子〉
一田憲子(いちだ・のりこ)
1964年生まれ。編集者・ライター。OLを経て編集プロダクションに転職後フリーライターとして女性誌、単行本の執筆などを行う。企画から編集、執筆までを手がける『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社)を立ち上げ、取材やイベントなどで、全国を飛び回る日々。別冊天然生活『暮らしのまんなか』(扶桑社)の編集も手がける。『すべて話し方次第』(KADOKAWA)、『歳をとるのはこわいこと?』(文藝春秋)ほか著書多数。暮らしのヒント、生きる知恵を綴るサイト「外の音、内の香」主宰。ポッドキャスト番組「暮らしのおへそラジオ」を配信中。
http://ichidanoriko.com