• 2024年は、日本映画史に名を残す大女優、高峰秀子さんの生誕100年となる年です。それを記念して、文筆家で高峰秀子、松山善三の養女でもある斎藤明美さんが『ふたり~救われた女と救った男』(扶桑社)を上梓。今年生誕100年を迎えた女優の高峰秀子と、脚本家の松山善三がどのように出逢い、超格差婚を果たし、死が2人を分かつまでどのように生きたのか。56年の愛情物語を描いた1冊のなかには書ききれなかった暮らしについて、斎藤さんに取材しました。

    料理や掃除など、家事の時間も
    養女・斎藤明美さんから見た、ふたりの暮らし

    高峰秀子さんの食卓

    —— 斎藤さんが見た、2人の日常生活は、どのようなものだったのでしょうか? 掃除、整理整頓、料理、趣味の時間などの暮しのお話を教えてください。

    斎藤:これ、質問の内容が欲張りすぎていて、本一冊になりますね。

    —— ぜひ、いつか一冊にさせてください(笑)。

    斎藤:一部お答えすれば、2人の日常生活は、まず規則正しい。それは高峰が朝起きてから寝るまで、時計で計ったように、決まった時間に食事をすることを軸にした結果だと思います。

    だから本来は不規則になりがちな松山の執筆業を支えられたのだと思うし、子どもの頃から病弱で結婚してからも高峰が「病気のデパート」というほど病気をした松山が、健康で91歳という天寿を全うできたのも、高峰の健康的な料理に要因があると思います。

    —— 松山さんはそこまで病弱だったのですね。晩年の大変なご活躍からは、想像していませんでした。

    斎藤:一番わかりやすいのは、私が週刊文春時代に年2回会社で受けていた健康診断。いつも鉄分が少ないとか何とかで診断結果の書類にマーカーが何か所もついていたんですが、高峰と知り合って毎日のように夕飯を食べさせてもらうようになると、何と消えたんですよ! マーカーが。

    —— なんと、消えたのですか! それは、理由が分かりやすすぎて、衝撃ですね。松山さんだけではなく、斎藤さんも健康体にしてしまったのですね。

    斎藤:問診した女医さんが「努力したんですねぇ、きちんと自炊するようになったんですか?」と聞くので、「いえ……自炊ではなく……」と口ごもっていると、「お母さまが上京して食事をつくってくれるようになった?」、「いえ、母は先年他界しました」。「じゃ、賄い付きの下宿?」、「いえ、下宿ではなく1人暮らしで……」と答えに窮したことがあります。

    —— 笑。 まさか大女優の料理を食べていたからだとは!

    斎藤:つまりそれほど高峰がつくる料理は、健康的だったんです。どこで勉強したわけでもなく料理本も一冊も持ってない。読み書きと同じく独学なんでしょうね。

    とにかくふんだんに野菜を使う料理でした。ドレッシングも自分でつくって、サラダたっぷり。ミョウガ、大根、大葉、ニラ、玉ねぎ、キュウリ……。フキや大根、ジャガイモなどの煮物。炊き込みごはん、中華鍋、カレイの煮つけ……本当においしかった! 出来合いの総菜などもちろんナシ。全部つくりたて。

    —— うらやましい! 家の中も、いつもおきれいだったのですか?

    斎藤:整理整頓については、「コツは?」と私が聞くと、「いつ死んでもいいように」と即答しました。皆さん、今もしあなたが突然不慮の死を遂げたとき、部屋は大丈夫ですか?

    2人が忘れなかった大切なこと
    高峰秀子さんと松山善三さんの2人から見る、夫婦円満の秘訣とは?

    —— ところで、熟年離婚が増えている現代において、56年の結婚生活をつづけた松山さん、高峰さん夫婦円満の秘訣は何だと思いますか?

    斎藤:「夫婦喧嘩したことある?」と高峰に訊いたら、「ないね。私が強い言い方しても、とうちゃん(松山)は紳士だから喧嘩にならない。もし喧嘩になってもね、最終的にこの人と一緒にいたいかいたくないか、それを考えたら喧嘩は終わるよ」

    —— なるほど、身につまされるようなお話です。

    斎藤:2人の晩年を共に暮らした私から見て、確実にいえることは、高峰と松山は互いに敬意を忘れなかった。親しき仲にも礼儀ありを実践した2人だと思います。

    冬、夕食の卓に高峰が熱燗をつけて出すと、松山は「ありがとう」と。そして言葉遣いも2人はいつも「です」「ます」とていねいに穏やかに話す。「だよね」「だって」「ヤだ」とか、タメ口をきいて乱暴な物言いをするのは、不出来な娘の私だけでした(笑)。

    愛情とは互いへの変わらぬ尊敬と理解だと、2人を見ていて痛感しました。

    —— 溜息しかでません。ほんとうに素敵なご夫婦だったのですね。詳しくはぜひ、『ふたり』を読んでいただけたらと思います。

    画像: かつての3人。右から、高峰秀子さん、『ふたり』の著書で養女の斎藤明美さん、松山善三さん

    かつての3人。右から、高峰秀子さん、『ふたり』の著書で養女の斎藤明美さん、松山善三さん

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    『ふたり ~救われた女と救った男』

    『ふたり ~救われた女と救った男』(斎藤明美・著/扶桑社・刊)

    画像: 日本の大女優・高峰秀子の素顔。養女・斎藤明美さんインタビュー「高峰秀子さんと松山善三さんとの日々の暮らし」

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    貴重なプライベートアルバムと高峰秀子の随筆、言葉、斎藤さんが長年収集した貴重な資料、斎藤さんしか知らない情報を解説に付して、この一組の男女の数奇な運命を描いています。懸命に生きていればきっと未来は開ける、読めば誰もが励まされる一冊です。

    5歳でデビュー、20代半ばで映画界最高のギャラをとっていた高峰秀子は、世間からは順風満帆な大スターと思われていましたが、実情は、ギャラはすべて養母と十数人の親族に搾取され、学ぶ機会も奪われ、好きになれない女優業を黙々と続けざるを得なかった孤独な女性でした。その大スターに名もなく貧しい一人の助監督が交際を申し込み……。

    【イベントのお知らせ】
    『ふたり ~救われた女と救った男』刊行記念

    ◆斎藤明美さんトーク&サイン会
    【有隣堂】2024年11月30日(土)14:00~
    有隣堂イベント案内ページ:
    https://www.yurindo.co.jp/topics/12113/

    【ジュンク堂書店】2024年12月12日(木)19:00~ 
    ジュンク堂書店 池袋本店イベント案内ページ:
    https://honto.jp/store/news/detail_041000105676.html

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    画像: 2人が忘れなかった大切なこと 高峰秀子さんと松山善三さんの2人から見る、夫婦円満の秘訣とは?

    斎藤 明美(さいとう・あけみ)
    文筆家。本名:松山明美。1956年土佐市生まれ。津田塾大学卒業。高校教師、テレビ構成作家を経て、『週刊文春』の記者を20年務めてフリーに。2009年、10年余り親交のあった松山・高峰夫妻の養女となる。小説『青々と』で日本海外文学大賞奨励賞受賞。著書に『高峰秀子の捨てられない荷物』『最後の日本人』『高峰秀子の流儀』『高峰秀子との20年』『高峰秀子の言葉』など。



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