• 芸歴81年。97歳でこの世を去るまで、生涯現役を貫いた漫才師・内海桂子さん。インタビュー時は、御年94歳。浅草育ちの江戸っ子で、気っ風のいいしゃべりのなかには、笑いとともに、さまざまな学びがありました。今回は、いまもなお、私たちに忘れてはいけない大切なことを教えてくれる内海さんの言葉を、『天然生活』2017年3月号から一部抜粋でお届けします。
    (『天然生活』2017年3月号掲載)

    内海桂子さんの「漫才と言葉と、人生と」

    画像: 内海桂子さんの「漫才と言葉と、人生と」

    歳を重ねる楽しみって何ですか?

    「歳を重ねてよかったこと? 

    さすがに、だれも私に、ああしろ、こうしろっていわなくなったわねえ。……自由!」

    御歳94歳(2017年取材時)。現役漫才師としては、まがうかたなき最年長。

    若手芸人たち(内海さんからみれば、60も70も若手)からは「師匠、師匠」と慕われ、東京の浅草・東洋館で舞台に立ちます。

    もちろん、このページでも、尊敬と親しみを込めて、「師匠」と呼ばせていただきましょう。

    画像: 毎朝、起きたらまず姿見の前に座り、髪を整えて化粧を施す。だらしのない姿で一日を過ごすことはない

    毎朝、起きたらまず姿見の前に座り、髪を整えて化粧を施す。だらしのない姿で一日を過ごすことはない

    気っ風のいい江戸っ子のしゃべりで、人々を魅了

    取材当時、話題になっていたのは師匠のツイッター(現X)。ある日は政治のあり方を率直に斬り、ときには下町のイタリアンレストランでピザをつまみながら、ボージョレヌーボー解禁に喜ぶ。

    驚くのは、その視点。身のまわりで起こったことをつぶやいているのかと思いきや、そのほとんどは、世の中を俯瞰し、外に向いています。

    この社会で起こったことを眺め、感じたことを書く。そうかと思えば、「ペルーのマチュピチュに行ってみたい。その都市が突然、消えた謎を肌で感じて、着物姿で三味線を弾けば、謎めいた都々逸が生まれそうだ」と、壮大な夢を語ります。

    「思ったことを、ただ適当に流しているだけよ。もう、いったことは端から忘れちゃう。ただ興味のあることをパッとしゃべってそれでおしまい。明日はまた、別のことを考えているからね」

    不意にでる言葉にこそ、生き方が映し出される

    漫才は、言葉の芸。まさに、その言葉を使うツイッター(現X)で師匠が絶妙な面白さを発揮するのは、考えてみれば当然のこと。

    しかし、ただ挑発的で目新しい言葉を放り投げるだけでは、そこに笑いも共感も生まれません。物事を丸ごと受け止め、それを内側で咀嚼し、どんな言葉に変換して発するか。その〝変換〞作業こそが、芸なのです。それを師匠は、こう表現します。〝言葉の絵に描く〞

    「見たものじゃないと、言葉の絵は描けないもんです。ぼんやり見てちゃ、もちろんダメですよ。見て、ちゃんと隅々まで納得してわかっていないと、お客の前で絵は描けない」

    しかも、頭で考えているうちはダメで、考える間もなく、不意に口をつく言葉が芸になっていなければいけない。それを裏打ちするのは、その人がどう生きてきたか、どう歳を重ねてきたか、にほかならないのです。

    画像: 芸人さんの家らしく、千客万来の招き猫。家に飾られているもののほとんどは、ファンからの贈り物

    芸人さんの家らしく、千客万来の招き猫。家に飾られているもののほとんどは、ファンからの贈り物

    16の歳で芸事の道へ

    「私は、普通の人が普通にやってきたことを、何ひとつ経験できていないのね。朝、子どもを起こしてごはん食べさせて送り出して、亭主の帰りを待つ、なんてことをね。

    その代わり、普通の人ができない経験は、たくさんしてきたわね。

    学校だって、小学校の途中で終わっているし。数え年の10で、蕎麦屋に奉公に出たからね。三味線が弾けるからって、芸事の世界に連れていかれたのは16のときですよ。

    でも、芸人をやっていると、上つ方(上流)の人たちと、交流しなくちゃいけないことも出てくるでしょ。その人たちにも通じるような面白さを求められる。だから、すごく本も読んだし、いろいろなことを知ってやろうと思った。それがまあ、努力というもんかもしれません。面白いもんでね、人間には格がある。くだらない芸で笑うのは、やっぱりくだらない。大事なのは、〝格〞ですよ」

    若いうちに経験しておきたいこと

    ありのままでいい、などといわれる昨今ですが、師匠の考えは、少々違う様子。みずからが名誉会長を務める漫才協会の若手芸人には、国から与えられる賞を獲れ、と発破をかけます。「一過性のテレビ番組の賞なんていらない。伝統ある賞を獲りにいけ」と。

    若いうちに背伸びしなくてどうするんだ、ってことですよ。だから、うちの協会の若い子には、いつ、どんな舞台に上げられても恥ずかしくない格好をしていろ、といいきかせているの。言葉遣いだって同じこと。乱暴な、汚い言葉が面白い、それが漫才だと思っている人もいるけれど、ずいぶんな勘違いですよ。言葉は、きれいなほうがいいに決まっている。人間の格を落とさずに笑わせるのが漫才なんだから。若いうちから、〝自分のやり方〞なんて、都合よく言い訳しちゃいけないよ

    画像: インタビュー中に、都々逸を披露。切れていた弦を難なく張り直す。「目は悪くなっても、不思議と、こんなことは、ちゃんとできるのよねえ」

    インタビュー中に、都々逸を披露。切れていた弦を難なく張り直す。「目は悪くなっても、不思議と、こんなことは、ちゃんとできるのよねえ」

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    <撮影/大段まちこ 取材・文/福山雅美>

    内海桂子(うつみ・けいこ)
    1922~2020年。大正11年、両親の駆け落ち先である千葉・銚子で生まれ、東京・浅草で育つ。16歳で漫才の初舞台を踏み、漫才師として初の芸術選奨文部大臣賞など多くの賞を獲得。97歳で逝去。

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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