悲しみの中での実家仕舞い。いったん気持ちを切り替えて
わたしの課題のひとつだった「実家仕舞い」が終わりました。物事というのは、思ったように動かない時もあれば、忘れたころに一気に進むことがあります。今回は後者でした。「建物の解体を10日後にはじめます」という連絡に「いつかは」とわかっていましたが、10日という日の短さに複雑な思いが湧き上がりました。
わたしのように、実家内の片づけや、家そのもの実家仕舞いをする方が、この年代には多いと思います。きっかけの多くは、身内の他界によることもあり、悲しみのなかでの手続きや判断に何とも言えない気持ちになることもあるのではないでしょうか。
わたしは、これらの一連のことを通し、悲しみとそれらに関する手続きは、気持ちを切り替え「別のもの」と捉え、進めていくことを学びました。行政はじめ世界のシステムは、悲しみを待ってくれないようです。
ひとつひとつ自分の手で、と思っていたけれど
住まいのなかにあった物は、父が施設に入ってしばらくしたころ片づけました。5年ほど前のことです。ここ数年、わたしの家の「物」が少なくなったのは、この時の片づけが影響しています。最初は、ひとつひとつ手に取り両親の思い出とともに時間を遡りながら片づけていました。けれど、途中から「このペースではいつまで経っても終わらない」ことに気づきます。理想は「自分の手で」でしたが、結局は「業者の方にお願いする」を選びました。

思い出のものが、所有者不在のものとして消えていく
業者さん引き取りの日。そこには、はじめて見る景色がわたしの目の前に広がりました。
思い出も、悲しみも関係なく、次から次へと目の前から消えていく「物」。父が使っていた物、母が遺してくれた物、家族で利用していた物。それらが、所有者不在の「物」として、外へ運びだされていきます。「そこに入っていたんだ」という物もあれば、なつかしい思い出の品も収納の奥から出てきました。でも、それらもすべて名前のない物としてあっという間に車に積みこまれていきました。最初は、そのスピードと決して丁寧とは言えないあつかいに言葉を発しそうになりましたが、途中から「それでもまだある」を目の当たりにし、現実を受け入れました。

その日、わかったことがあります。
それは、想像している以上に家のなかには「物がある」ということです。人が生きていくには、それなりの物がやはり必要で、引っ越しや定期的な見直しをしていない場合や、父のように高齢でのひとり暮らしが長くなると、物は増えつづける傾向にあるということです。
あたらしい物があるにも関わらず古い物を使いつづけることもそうですし、定期購入の物など使い切れていなくても送りつづけられる物もあります。賞味期限の切れた物、あたらしい同じ物もいくつかあり、基本の「生活に必要な物」プラスそういった物があり、結果、物が増えていきます。
収納がたっぷりある家だったこともあり、一見、部屋は片づいて見えるのですが、実は、長い間使わずにいた不要な物が見えないところにぎっしりありました。
実家仕舞いを通して、物の持ち方を改めて考え直す
そういった経験があり、わたしは「物」はできるだけ少なく、使う物、思いがある物だけで暮らしていこうと思うようになりました。家族がいても、こどもがいても、そこに人の暮らしがある以上、いつかは変化が訪れ、誰かが引き継ぐか、片づけをするようになります。しずかに悲しみと過ごしたい時期かもしれません。そんな時、片づけのことで煩いたくない、煩わせたくないと思います。
物が運び出され、誰も住まなくなった家ですが、何らかの気配は残るものです。定期的に風を通すため実家に通っていましたが、父の書斎の机の跡、母が育てていた季節季節の花、わたしの部屋の壁の粗いペンキ(自分で塗ったのです)を目にすると、そこに確かにあった暮らしや人の思いを感じます。それは「家からの手紙」のよう。「かつて、ここで、こんなことがありました。覚えていますか? 」。手紙は、そんな書きだしではじまります。


広瀬裕子(ひろせ・ゆうこ)
エッセイスト、設計事務所共同代表、空間デザイン・ディレクター。東京、葉山、鎌倉、瀬戸内を経て、2023年から再び東京在住。現在は、執筆のほか、ホテルや店舗、住宅などの空間設計のディレクションにも携わる。近著に『50歳からはじまる、新しい暮らし』『55歳、大人のまんなか』(PHP研究所)、最新刊は『60歳からあたらしい私』(扶桑社)。インスタグラム:@yukohirose19