多頭飼いの悩み、それは「やきもち」
いっぱいの猫と暮らすこと。
我が家はしあわせが折り重なる夢のような10匹の多頭飼いですが、困ったこともしばしばあります。
たとえば、リビングに置いてあるソファ。その左端は15歳になるちょっと内気な女の子「ウン」の指定席です。私がそこに座ることが多いため、私の左手が届くこの位置だけが、怖がりの彼女にとっての「安心の場」なのだと思います。
15年という年月は、元気だったウンの体の節々に少しずつ緩やかな時間を刻んでいきます。たとえば関節炎。腎臓の不調。でも彼女は今でも、私の手がそっと頭を撫でるだけで、聞こえないほどの小さな音でクルクルと喉を鳴らしてくれる。
そんな姿を見ていると、私の心まで緩むのです。

こちらが内気な「ウン」
猫それぞれの「要求」にどう対処する?
けれどそこへやってくるのが、まだ5歳のやきもち妬きボウズ「全」。
私がソファに座った瞬間、どこにいても音もなく現れ、ウンを撫で始めた私に「ぼくは?ぼくの番でしょう?」と当然のようにウンと私の間に割り込んでくるのです。
最初は戸惑いました。
ウンはピタリと喉を鳴らすのをやめ、じっとしています。撫でられるのを諦めたような、どこか悲しげな目……。
とはいえ、全を拒むこともどうしてもできません。なぜなら彼は、今は亡き甘えん坊の女の子「ヒナ」にあまりに似ていたから。
ヒナもたぐいまれなるやきもち妬きで、他の子をかわいがっていると怒ってちょっかいを出したり、そのたび、私もついヒナを叱ってしまいました。
ヒナにしてあげられなかったことを、今いる全にはしてあげたい。
でも、ウンも大切……。
考えました。どちらかを選ぶのではなく、どちらの気持ちも守るにはどうしたらいいか。
そして、私は両方の手を使うことにしたのです。
左手を伸ばしウンを撫でる。右手は、膝にぐいぐい乗ってきた全を抱えます。
ウンには、彼女の「安心のルール」を壊さないよう、撫でるペースや声かけにいつも通りのリズムを保ち、全には、膝の上は「安心の場所」だけど「独占」ではないことを少しずつ教えていったのです。

ソファの端にいる「ウン」
多頭飼いを円満にする、小さな工夫3つ
多頭飼いの悩みは、いつも「小さなすれちがい」との闘いです。仲が良くても、性格も年齢も違う子たちが同じ屋根の下で暮らしている。そこで私は日々、小さな工夫をレベルアップしていくぞ!と決めました。
たとえば……
(1)それぞれの子の「ささやかななわばり」ができるよう、その子のにおいのついた場所を作る
(2)誰かをかわいがっているとき、じゃまをされたら、まずは今の子を優先し、あとから来た子は、後ほど、別の場所でかわいがる
(3)撫でる時間やおやつの順番は年長の子からと決めて、「年功序列の安心感」を作る

膝に乗る「全」
それぞれの「心の順番」を守る
誰かを特別扱いするのではなく、それぞれの子の「心の順番」を守ってあげたいと痛感するのです。
つい「順位」や「手に入れたもの」にこだわる人間社会に、多頭飼いの猫たちはいろんなことを教えてくれます。
「独り占めするより、そばにいることのほうが大切」だとか「気持ちが満たされていれば、取り合わなくてすむ」ということも。
猫たちは「しゃーないなあ」と「ま、いっか」の天才。
彼らの穏やかな「赦し合い」のしぐさを胸に、私もゆるく、優しくありたいと誓うのです。

「でかお」のお気に入りの場所
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咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」