• 37年間ほぼ満席だった名店「オテル・ド・ミクニ」をたたみ、71歳でたった8席の店をオープンさせた三國清三シェフ。その生きざまに迫る自伝『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』が、このほど出版されました。それを記念して東京・誠品生活日本橋で開催されたトークイベントの様子をお届けします。

    「ミクニ」の8年間は、振れ幅の大きい千本ノックを受け続けているような日々

    当日の10月25日(土)は、朝からあいにくの雨模様。にもかかわらず、たくさんのお客様が続々と詰めかけ、満席の熱気のもとイベントはスタートしました。

    画像1: 「ミクニ」の8年間は、振れ幅の大きい千本ノックを受け続けているような日々

    三國シェフとともに、「オテル・ドゥ・ミクニ」で8年間シェフ・パティシエを務めた「パティスリー エーグルドゥース」の寺井則彦シェフが登壇。貴重な師弟対談を繰り広げました。

    「寺井シェフはこういう場にはまず出ない人なんですよ」と冒頭で三國シェフが明かすと、「三國シェフの元でやらせていただいた8年の間に、メディアの怖さですとか、出たことによる影響をいろいろ体験したものですから。今は静かに、お菓子だけを作る生活をしています」と寺井シェフのユーモアあふれる切り返し。会場全体が和やかな笑いに包まれます。

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    画像3: 「ミクニ」の8年間は、振れ幅の大きい千本ノックを受け続けているような日々

    ミクニグループの「挑戦」の時期をともにして

    『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』は、年代別に章立てがされています。寺井シェフが働いていたのは、事業が急拡大していく様子を綴った第3章「挑戦」の時代。

    当時大きなプロジェクトを成功させたことをきっかけに、次から次へと依頼が舞い込むようになり、「実力のあるシェフ・パティシエをおかないとやっていけない」と考えた三國シェフが迎え入れたのが、当時「ル・コルドンブルー」で教鞭をとっていた寺井シェフでした。

    「寺井さんが来てくれたことで、ミクニの拡大に拍車がかかった」と三國シェフ。

    寺井シェフの入社当初、たった3人だったミクニグループのパティシエが、8年後にはなんと本店だけで25人、日本全国には100人以上という規模に拡大していたそうです。

    「野球の練習でいえば、振れ幅の大きい千本ノックをずっと受け続けているような日々でした」と寺井シェフが振り返ると、「でも、どんなに大変なことでも、寺井さんは一度もNOって言わなかったよね」と三國シェフ。

    「自分が24時間働けばなんとかなる案件についてはNOとは言わなかった。ただ、これを引き受けたら会社が持たないと思われる案件が降ってきたときは、会議で身を張って「できません」と言ったことも。この会社を守らなくては、と必死でした」(寺井シェフ)

    「ほらね、つまりね、僕の名声の半分は寺井さんのおかげだということですよ」(三國シェフ)

    画像: ミクニグループの「挑戦」の時期をともにして

    寺井シェフがミクニからの独立。その時の決断

    2004年、寺井シェフは三國シェフの元から独立して、「パティスリー エーグルドゥース」を開業。

    それを機に、三國シェフは、全国に広がり絶好調だったパティスリー部門をあっさり閉めてしまいます。

    「だって、寺井さんが独立するんだよ。お客さん全部そっちへ行っちゃうから、勝ち目ないでしょ。」と当然だよと言わんばかりの表情で、でもなんだか満足そうに話す三國シェフ。素敵な師弟関係が垣間見えた瞬間でした。

    エーグルドゥースの「賞味期限1時間」のモンブランに込めた思い

    「ミクニ」でたくさんのことを学んだと話す寺井シェフ、そのなかでも最も大切にしているのは「味重視のものづくり」です。

    料理人が素材を基に自分の感性や感覚でいいと思う状態をつくり提供するのに対して、パティシエは、まずレシピがあり、それに沿って材料を正確にきちんと計量し指定どおりにきれいにまぜて形をつくっていく。つまり、一皿に対してのアプローチの仕方がまったく異なっていると寺井シェフは指摘します。

    「その日の材料に合わせて自分の感覚で調理法を決めていく料理人の仕事に感銘を受けたことから、自分の仕事の真ん中に「お菓子の味」がある、そんなものづくりをしたいなと思うようになりました」

    たとえばモンブランをつくるとき、缶詰を使わずに栗をブランシールして栗の味を生かす。バターやお酒を減らし、メレンゲの砂糖も少なくする。砂糖を減らすと、すぐに湿気ってしまうため、注文が入ってから絞って出して提供する。「三國シェフのところで勉強した経験が生きています」(寺井シェフ)

    三國シェフ、新店舗を始めたことをすでに後悔?! 

    トークの終盤は三國シェフが71歳で開店したカウンター8席の店「三國」のお話へ。

    「人生100年時代、まだこれからだ、とかっこつけて始めちゃったけど、後悔してますよ」と冗談めかして話す三國シェフ。

    お客さんの前では、プロとしてシャキッとしているけれども、終わったあとはとても疲れていて、以前なら一晩寝ればとれた疲れがなかなかとれないとのこと。

    「こうなることは以前から薄々気づいていたから、週2回の筋トレを4年前から続けています。今の筋肉を75歳まで維持できれば、なんとか80歳までいけるかもしれないと先生に言われたので、今はそれを目標に戦いの最中」

    最後に目標を問われた三國シェフはマイクを持ち直してお客さん向かい「71歳の僕には、地位も名誉もお金もある(笑)しかもモテるしね(笑)」どっと沸く客席。「だから望むものはもうないわけ。あとは店を本当に75歳、80歳まで続けられるかどうか、人生の目標はそれだけです」

    深くうなずきながら聞いていた寺井シェフはこう語ります。

    「僕は三國シェフと10歳違い。一緒に働いていたときからずっと、三國シェフの姿に10年後の自分を見て追いかけてきました。今日はこうしてお話する機会をいただき、70代になっても挑戦されている姿を目の当たりにし、僕もまだまだ挑戦し続けなければいけないな、と改めて思いました」とお話を締めくくりました。

    画像1: 三國シェフ、新店舗を始めたことをすでに後悔?!
    画像2: 三國シェフ、新店舗を始めたことをすでに後悔?!

    トークイベントのあとは、サイン会へ。感想を伝えてくださる方、素敵な笑顔でシェフとともに写真におさまる方…。お客様も私たちスタッフも、その場に居合わせた誰もが元気になるようなトークイベントでした。

    画像3: 三國シェフ、新店舗を始めたことをすでに後悔?!

    <撮影/キッチンミノル 取材/平林理恵>

    三國、燃え尽きるまで厨房に立つ(三國清三・著/扶桑社)

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