• 何者かになりたくて、誰かに認められたくて、わからないながらも必死に走りつづけてきたという一田憲子さん。「私は何のために、どこに向かっているのだろう?」歳を重ね、現在地を確認した一田さんがたどり着いたのは「シアワセになりたい」という望みでした。シアワセの答えは、きっと暮らしの中にあると話す一田さん。今回は「老いとの向き合い方」のお話。

    「老いる」ことは人間の尊い成長のプロセス

    クーラーが利いた部屋でタオルケットにくるまってするお昼寝。夕暮れどき、コトコトと炊いた大根を頬張る夕餉。読んでいる本の一文が、まさに今自分が必要としている言葉で心が震えるひととき。

    日常の中にある「わあ、幸せだなあ」と思える瞬間が、歳を重ねるにつれて増えてきた気がします。

    父と母と一緒に近所の回転寿司に出かけ、寿司好きの93歳になる父が「うまいの~」とニコニコと食べている姿を見るだけで、涙が出るほど嬉しくなります。

    画像: ソファの背にはいつもブランケットをかけておき、ちょっと疲れたら30分~1時間ほど昼寝を。一旦リセットするとパワーが充電されてシャキッと目覚められる

    ソファの背にはいつもブランケットをかけておき、ちょっと疲れたら30分~1時間ほど昼寝を。一旦リセットするとパワーが充電されてシャキッと目覚められる

    若い頃は、「私はどうやったら幸せになれるのだろう?」と、幸せになる方法を知りたくてたまりませんでした。手掛けている本が売れること。いいライターになること。そこそこ稼げるようになること。いい家に暮らすこと。

    いくつかの「幸せになるための条件」があって、ひとつずつ満たしていけば、すべてコンプリートした時、ハッピーエンドになるに違いない。そう考えていた気がします。

    でも、当時描いていた条件は、自分でコントロールできないことばかりでした。だからこそ、ゴールに到達する方法がいつまでたっても見えてこない……。

    「意識レベル」次第で人生の喜びは大きくなる

    先日とある人に教えてもらったのが、『パワーか、フォースか』という精神科医デヴィッド・R・ホーキンズ博士の著書でした。その中に「17段階の意識のレベル」というマップがあるそうです。人間がどの「意識のレベル」にいるかによって、願いが叶いやすいかを解説したもの。

    たとえば意識レベルのいちばん低いエネルギー20は「恥」です。つまり、「これをすると恥ずかしい」というものごとの捉え方をしていたら、願いが叶うエネルギーはたった20しかない……。

    「恐怖」が100、「プライド」が175。「恐怖」や「プライド」をエンジンにしても、パワーが出ないというわけ。私が若い頃に描いていた「本が売れる」だったり「いいライターになる」は、まさにこの「プライド」という意識レベルでした。

    逆に540と高いのが「喜び」です。目の前の夕日に「ああ、きれいだなあ」と感動したり、両親がおいしそうにご飯を食べる姿に「ああ、よかった」と喜んだり。そんな目の前にあるものを見たり、聞いたりしながら、自然に湧き出す「喜び」こそ、人生において願いを叶える力になるということ。

    同じ現実や環境が目の前にあっても、どの意識レベルにいるかによって、その事実を変えることができるそう。たとえば、一生懸命作った本が売れなかった時、「恥」のレベルに住んでいる人は、「惨めだ」と落ち込むけれど、「喜び」のレベルに住む人は、たったひとりの人の胸に響いたことを「なんて素敵なことなんだろう」と感謝し、その後も「ひとり」に届けるためにコツコツと描き続ける、といった具合です。

    「ままならない現実」のなかに幸せを探して

    歳を重ねると、だんだん自分の力でコントロールできることと、できないことの境界線を知るようになります。出世欲や向上心をエンジンに自分を成長させてきたけれど、病気になったり、仕事がうまくいかなかったりと、「ままならない現実」に向き合う度に、「それでも幸せでいる方法」がある、と世界の見方を変えるようになります。

    病気になっても幸せなままでいられるし、出世しなくたってお腹はすくし、ご飯をおいしく食べられます。喜びは、自分の奥底から自然に湧き出してくるもの。つまり「条件」ではありません。

    目の前のものを見て、美しい、愛おしい、嬉しいと感じるだけでいい。

    歳を重ねること=老いることは、自分の力を手放して、身の回りにすでにあるものを受け入れ、幸せを感じる、人間の尊い成長のプロセスなのかもしれません。

    〈撮影/近藤沙菜〉

    ※本記事は『最後の答えは、きっと暮らしの中にある。』(内外出版社)からの抜粋です。

    『最後の答えは、きっと暮らしの中にある。』(一田憲子・著/内外出版社・刊)

    画像: 60歳「ままならない現実」で気づいた幸せの見つけ方。幸せになる方法を知りたくてたまらなかった若いころの自分へ/一田憲子さん(編集者・ライター)

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    ◆決してひっくり返らない「幸せ」は、いつもの暮らしの中にありました◆

    若いころは、何者かになりたいと、仕事の成果やキャリアの成功を気にしていたという一田さん。

    人生後半を迎えたいま、誰かの評価で揺らぐ幸せよりも、暮らしのなかにある「決して揺らがない幸せ」に心満たされる瞬間があると気づいたそう。

    本書は、一田さんが日々の足元を見つめ直してみて気づいた、ありのままの私で幸せに暮らすための「答え」を綴ったエッセイ集。

    変わらない日常のなかにあるささやかな幸せに目を向け、自分らしい生き方を大切にしたくなる1冊です。

    【もくじ】
    ● chapter1 学び
    ・「負けられる人」になるのも人生後半を生きるコツ
    ・“ひとり勝ち”では誰もシアワセになれない など
    ● chapter2 気づき
    ・自分で泳がなくても、ボートに乗せてもらえばいい
    ・いつもの暮らしを豊かにするメモの力を再発見 など
    ● chapter3 言葉
    ・足を止めて待ち途方に暮れて何かが始まる
    ・大人の適度なミーハー心が新しい風を起こす など
    ● chapter4 道具
    ・今まで着ていた服がに合わなくなった日がきたら
    ・食べ物は「点」で味わうか「流れ」で味わうか など
    ● chapter5 時間
    ・どんなに忙しくても静かな家時間を失わない
    ・“勝ち負け”の舞台から降りれば心から楽しめる など


    一田憲子(いちだ・のりこ)
    1964年京都府生まれ兵庫県育ち。編集者・ライター。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーライターとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集、執筆までを手がける『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社)を立ち上げ、取材やイベントなどで全国を飛び回る日々。近著に『小さなエンジンで暮らしてみたら』(大和書房)、『父のコートと母の杖』(主婦と生活社)、『すべて話し方次第』(KADOKAWA)がある。著書多数。暮らしのヒント、生きる知恵をつづるサイト「外の音、内の香」主宰。
    https://ichidanoriko.com/



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