追い求めてきた「自分らしさ」「やりがい」って?
4月に大阪、5月に北海道、と雑誌のイベントが続きクタクタになりました。でも、そのふたつの地で起こった出来事が、不思議につながって、自宅に戻ってからの風景が違って見えるようになりました。
まずは大阪で。かつて取材させていただいた方が「一田さん、これ好きそうだから」と1冊の本を持ってきてくれました。それが、『自分とか、ないから。』という東洋哲学について書かれた本。著者はしんめいPさんと書いてあります。
パラパラとめくると、大阪弁でちゃらい口調の文章が続きます。「なに、これ? なんだか怪しそうな本だなあ」としばらくは放りっぱなしにしていました。が……。せっかくいただいたのだからと読み始めると、ぐいぐいと引き込まれていったのでした。
最初はブッダの悟りについて。29歳で妻子を捨てて出家したブッダ。「自分とは何か?」を求めてあらゆる修行をし、たどり着いたのは「無我」の境地でした。「我」が「ない」。つまり、「自分らしさなんてない」ってことです。えっ!「無我」ってそういうことなの?
次に「空」の思想について。そこにはこう書かれていました。「ジャイアンが『強い』でいられるのは、のび太が『弱い』でいてくれるからだ」「『強い/弱い』『善い/悪い』『有る/無い』は、すべてフィクション」。
そして、こう続きます。「こういうのも、なりたたない。『自分は才能が無い』だから『仕事ができない』」「そもそも、すべての悩みは成立しないのだ。だからぜったい大丈夫なのだ」
あれ? 私が若い頃から追い求めてきた、「自分らしさ」や「やりがい」っていったいなんだったのだろう? と呆気にとられました。無駄な時間だったってこと? と腹が立ってきます。でも同時になんだか、やっと肩の上の重たい荷物を下ろしたような、「そっか、それでいいんだ」と安心したような気分にもなったのでした。
自分を空っぽにして笑っているだけでいいのさ
そして、続きは北海道です。イベント会場を抜け出して、北海道の友達に円山公園内にある北海道神宮に連れて行ってもらいました。
「ここはね、すごいパワースポットなんだよ」と友達。おみくじは「小吉」。そこにはこんなふうに書いてありました。「笑う門には幸い来る、ねてもさめてもにこにこと」。
続いて「苦虫を噛み潰した様な顔、尖った声、それがどれほど自分の心を暗くし、家庭を暗くし、世間をも暗くする事か。努めてもにこにこと笑いましょう。先ず自分の心が明るくなり、やがて家庭も社会も朗らかになる」
な~んだ、笑うだけでよかったのか……。ずっと私は何者かになりたくて、有名な文筆家になって、じゃんじゃん本が売れればいい、と望んできました。でも、そうはならなくてしゅんとして……。なのに、そもそもそんな悩みなんて、「ない」と同じってこと? その枠から外へ出て、自分を空っぽにして、ニコニコと笑えばいいだけってこと?

「思うようにうまくいかない」と感じたら、「何がなんでも!」と意気込まず、ちょっと小休止を。あえて一拍置いて、まったく違うことをしてみたら、冷静になることができる
今の私になるために、あのジタバタした時間は必要だったとは思うけれど、60年も生きてくると、いくら頑張っても、努力しても、思いが強くても、叶わない夢は叶わないとわかってきます。
そして、自分がコントロールできない場で「なんとかしよう」と無理をすると、自分を消耗してしまうことも知りました。だったら、そろそろ空っぽになっていいのかもしれません。そして、両手を広げてそんな空っぽの中に何が降りてくるのかを待ってみたい! と思うようになりました。
ちなみに「ニコニコ」は意外に難しい。まずは、いちばん身近な存在の夫にニコニコできません。「行ってらっしゃ~い」と仕事に出かけていく背中に向かって、無理やり口角を上げてひきつりながら笑顔を作る練習をする毎日です。
▼一田憲子さんの“幸せな暮らし”の記事はこちら
〈撮影/近藤沙菜〉
※本記事は『最後の答えは、きっと暮らしの中にある。』(内外出版社)からの抜粋です。
◆決してひっくり返らない「幸せ」は、いつもの暮らしの中にありました◆
若いころは、何者かになりたいと、仕事の成果やキャリアの成功を気にしていたという一田さん。
人生後半を迎えたいま、誰かの評価で揺らぐ幸せよりも、暮らしのなかにある「決して揺らがない幸せ」に心満たされる瞬間があると気づいたそう。
本書は、一田さんが日々の足元を見つめ直してみて気づいた、ありのままの私で幸せに暮らすための「答え」を綴ったエッセイ集。
変わらない日常のなかにあるささやかな幸せに目を向け、自分らしい生き方を大切にしたくなる1冊です。
【もくじ】
● chapter1 学び
・「負けられる人」になるのも人生後半を生きるコツ
・“ひとり勝ち”では誰もシアワセになれない など
● chapter2 気づき
・自分で泳がなくても、ボートに乗せてもらえばいい
・いつもの暮らしを豊かにするメモの力を再発見 など
● chapter3 言葉
・足を止めて待ち途方に暮れて何かが始まる
・大人の適度なミーハー心が新しい風を起こす など
● chapter4 道具
・今まで着ていた服がに合わなくなった日がきたら
・食べ物は「点」で味わうか「流れ」で味わうか など
● chapter5 時間
・どんなに忙しくても静かな家時間を失わない
・“勝ち負け”の舞台から降りれば心から楽しめる など
一田憲子(いちだ・のりこ)
1964年京都府生まれ兵庫県育ち。編集者・ライター。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーライターとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集、執筆までを手がける『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社)を立ち上げ、取材やイベントなどで全国を飛び回る日々。近著に『小さなエンジンで暮らしてみたら』(大和書房)、『 父のコートと母の杖』(主婦と生活社)、『すべて話し方次第』(KADOKAWA)がある。著書多数。暮らしのヒント、生きる知恵をつづるサイト「外の音、内の香」主宰。
https://ichidanoriko.com/








