• NHK連続テレビ小説『ブラッサム』の主人公のモデルとして話題の作家・宇野千代。小説家として数々のベストセラーを生み出したほか、雑誌をつくったり、着物のデザインを手がけたり、恋に夢中になったり……。そんな波乱万丈の人生を送った彼女が、88歳から91歳の人生の終盤で語った、小説を“死ぬまで”現役として書くということ。しなやかでまっすぐな言葉をお届けします。
    (『宇野千代 ちょっと自伝』より)

    「死んだらお止まり」

    毎朝五時頃に起きて、朝食にはパンを食べて―それからすぐに机の前に坐ります。もう何十年て、こういう生活を続けてきたような気がするわ。とにかく坐って、書く。

    この何年かは、好きなときに寝て好きなときに起きるようにしていますから、夜中に目が醒めて少し書いたり、昼寝をして起き抜けにまた何行か書いたり……。

    書くことが楽しくてたまらない、書かずにいられない。こういう境地になったのはごく最近のような気がします。

    昔は、書けなくて書けなくて、ずいぶん苦しみながら書いたことだってありますよ。それでもね、小説家をやめたいなんて思ったことは一回もない。丁度わたしが死にたいなんて思ったことが一回もないのと同じように。

    そう、九歳ぐらいのときだったか。夜、寝ていると、風が吹いて裏の竹藪がざぁーっと鳴るの。それを聞いていたら急に、ああわたしが死んだらあの音も聞こえなくなるんだなあ、と思った。

    それがわたしの、死への恐怖ということの最初にして最後でした。

    画像: 「死んだらお止まり」

    死ぬことが魅力だとは思いません。死んだらお止まり、生きていなければね。

    いつか新聞の随筆に「酔生夢死」という話を書きましたが―酔って生きていて、夢みたいに一生を終るようなこと―酔生夢死でもね、やっぱり生きているというのは凄いことです。

    かと言って、別に怖くはないの。自然のことですからね。ただわたしは、最期まで現役的に生きていて死にたいと思う。

    つまり死ぬまで書いて、書き続けていたい。

    現役でというと少し嫌らしいでしょう、商売気が見えて。連載を書いているとか、新年号に大きく載らなくちゃとか、そこまで望むわけではない。だから現役的になの。でも、書かなければ「無」ですもの。

    書くということを仕事にして、わたしはほんとうによかったと思っていますよ。文学って、いい商売だと思います。

    いい作品を書けば、後世にまで残るんですからね。紫式部や清少納言が、延べにしてどれだけの読者を獲得したと思いますか。いま書いているものが、百年も二百年も後の世の人が読んでくれるかもしれない、そう思うと、文学って何て素敵な仕事だろうと……。

    そりゃあ、誰にも内緒でね、密かに、これは上手く書けている、残るかもしれない……なんて思うこともありますよ。でも、これで満足、思い残すことはない、なんていうほど完璧な出来ばえの作品はまだありません。

    それには遠く及ばないわ。そんな風に思えるものが書けたらどんなにか嬉しいだろうけれど。

    他人が何と言おうと、そりゃあ自分でわかります。よく書けたか、駄目かということは自分がいちばんよくわかる。

    ときにはね、書くことが何もない、どうしても先へ進めない、なんていうこともあるのよ。そうすると、あいうえお、いろはにほへと、と書きでもするように何か書いてしまう。

    そんな風に書いたのがめちゃめちゃじゃなく、とっても凄いことになる、そういう場合もあるのよ。

    画像: わたしが女学校のときに書いた作文。当時の国語の先生の娘さんが、持ってきて下すったの。ね、いまより字が上手でしょう。こんな作文を、自分が書いたとは信じられないわ。可愛らしいじゃないの、文章が理屈っぽくて……

    わたしが女学校のときに書いた作文。当時の国語の先生の娘さんが、持ってきて下すったの。ね、いまより字が上手でしょう。こんな作文を、自分が書いたとは信じられないわ。可愛らしいじゃないの、文章が理屈っぽくて……

    感動する心があれば、何でも書ける

    『おはん』は、よく書けたほうだと思います。ほんとうに時間がかかって、もう一生書き上げられないんじゃないかと言われたりしたけれど。

    戦争中は、ちっとも戦争のことを書かずにあんな男と女のどうしようもない話を書いて―と、ずいぶん批難されたりもしたのよ。

    戦争が済んでからは、あの時代によくぞああいうものを書き続けたって、褒められました。褒めるのも貶すのも、その時代に従った考えで言うんですから当てになりませんよね。

    わたしは、小林秀雄のように生まれながらに文才があったとは思わない。それは書くということは、努力だけではなく才能が要るでしょう。澄んだ心で、ただ坐って書き出せばいい、とばかりは言えないわ。

    でも、一番大切なのは物事に感動する心だと思いますね。経験が芸の肥やしになると言うけれどそうじゃない。自分でしたことでなくとも、感動すれば、何でも書けるのよ。

    だから、文学という仕事は面白い。

    画像: 『一ぺんに春風が吹いて来た』手書き原稿

    『一ぺんに春風が吹いて来た』手書き原稿

    画像: 原稿は先ずこの紙に下書きをして、あとで原稿用紙にお清書するの

    原稿は先ずこの紙に下書きをして、あとで原稿用紙にお清書するの

    〈著者/宇野千代 文(聞き書き)/三宅菊子〉

    本記事は『宇野千代 ちょっと自伝』(マガジンハウス)からの抜粋です



    宇野千代(うの・ちよ)
    1897(明治30)年、山口県岩国市生まれ。小説家、編集者、着物デザイナー。 岩国高等女学校卒業後、小学校代用教員などを経て、1921年に『脂粉の顔』が「時事新報」懸賞小説の一等に当選し作家デビュー。尾崎士郎や東郷青児との恋愛・同棲、北原武夫との結婚・離婚など、波乱万丈で自由奔放な生き方は時代を超えて多くの人を魅了した。 作家活動にとどまらず、日本初の女性ファッション誌『スタイル』を創刊し、また着物デザイナーとしても幅広く活躍。1957年に名作『おはん』で野間文芸賞および女流文学者賞、1982年には菊池寛賞を受賞。100万部を超えるベストセラーとなった自叙伝『生きて行く私』をはじめ、情熱的でしなやかな人生観を綴った多くの作品を遺し、98歳で没するまで精力的に執筆を続けた。

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    『宇野千代 ちょっと自伝』(宇野千代・著、三宅菊子・聞き書き/マガジンハウス・刊)

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    NHK朝ドラ主人公のモデル、宇野千代の語り下ろしと70点を超える貴重写真が1冊に
    宇野千代は、明治30(1897)年、山口県岩国市に生まれ、小説家として『色ざんげ』『おはん』『生きていく私』などのベストセラーを生み出したほか、着物デザイナー、実業家、モデルとしても幅広く活躍しました。本書は、宇野千代が88歳から91歳のときに語り下ろされた言葉をまとめた一冊です。自宅や別荘をはじめ、故郷の岩国、思い出の湯ヶ島、きもの工場など、さまざまな場所を訪ねながら人生を振り返った「ちょっと自伝」。ここでしか見られない70点超の貴重写真とともに、宇野千代のしなやかでまっすぐな「生きが好い人生」を、本人の言葉でお楽しみください。



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