• NHK連続テレビ小説『ブラッサム』の主人公のモデルとして話題の作家・宇野千代。小説家として数々のベストセラーを生み出したほか、雑誌をつくったり、着物のデザインを手がけたり、恋に夢中になったり……。そんな波乱万丈の人生を送った彼女が、88歳から91歳の人生の終盤で語った、忘れられない原稿料とお金の話。しなやかでまっすぐな言葉をお届けします。
    (『宇野千代 ちょっと自伝』より)

    生涯忘れられない、原稿料をもらったときのこと

    世の中の人にはね、お金の話なんかするのは厭らしいことだ、と言う人が多いけれど―わたしは金の話が大好きですよ。でも、その割には、なかなか手には入り難い。

    生涯忘れられないのは、中央公論で、処女作の『脂粉の顔』の原稿料を貰ったときですねぇ……。送った原稿がどうなったかな、と思って北海道から出てきて、中央公論社を訪ねた。

    瀧田樗陰が、ほら、あなたの小説はここに出てますよ、と言うの。それで、原稿料も持って行きますか。―そう言われて吃驚してねぇ、頂けるなら頂いて行きたいです、と言ったら―そのときのお金で一枚三円、なんでも百二十一枚分で、三百六十三円だったと思います。

    そんなに大金の原稿料を貰っておったまげたのよ。その現金を持って往来に飛び出した。

    『生きて行く私』に書いたけれど、本郷にいた頃にしょっちゅう通っていた追分町の質屋さんへ駆け込んで行って、質屋の番頭さんに自慢して見せたの。いつでもありったけの着物を質に入れてたんですから。それを、出して。

    田舎に母親とお祖母さんとがいましたからね、この金を見せてやりたいと思って―岩国へふっ飛んで帰ったのよ。それで、金を見せて、一部を分けて上げた。そのときの二人の喜び様といったらなかったのよ。あんまり喜ばれたのでね、そのためにわたしは女流作家になったんです。

    北海道に待っていた亭主は、拓殖銀行に勤めてましたから、まぁまぁ暮せる収入はあったでしょう。とにかくその人に見せるより、先ず岩国のお袋さんとお祖母さんを喜ばせたかった。で、そのまま北海道に帰らなかったんですからねぇ……。

    画像: わたしが笊に貯め込んでいた銀貨の山。重たいですよ。全部で二十五万円くらいあるかしらねえ

    わたしが笊に貯め込んでいた銀貨の山。重たいですよ。全部で二十五万円くらいあるかしらねえ

    一生、現役で稼いでいたいもの

    でも考えてみるとわたしは、田舎の女学校を出てから現在まで、一日も金を稼がない日はなかった、というような気がするの。それは、とても賑やかな、嬉しいことですよ。

    男に養って貰ったことは、ないわねぇ。何でも買ってくれるような恋人もいなかった。

    『スタイル』*を出していた時分は、金が湯水のように入ってきたけれど、経営がズサンでしたから忽ち倒産。あのとき、金というものの空恐ろしさを、骨身にしみてわかりましたね。

    *『スタイル』…宇野千代が創刊した日本初のファッション誌。

    『生きて行く私』がベストセラーになって、億に近いような金を貰ったでしょう。わたしの出した本の中で、唯一、大金を稼いでくれた本ですね。税金で七割も持って行かれて。

    莫迦らしい、と言う人もいましたが、わたしは大満足。自分の働いたお金でそんなに沢山の税金が払えたと思うと嬉しいわ。

    現在も、一枚幾らという原稿料を貰ってそれで生活している、このことがほんとうに安心で幸福。一生、現役で働くのがわたしの理想です。

    画像: 正月の七日までに見えた人には誰にでも「お年玉」と言って渡すのよ。百人分以上も用意するんですよ。銀行の支店長さんや、七十歳ぐらいの、大きな会社の重役さんにも。みんな吃驚した顔をしますよ。その顔を見るのが面白くて

    正月の七日までに見えた人には誰にでも「お年玉」と言って渡すのよ。百人分以上も用意するんですよ。銀行の支店長さんや、七十歳ぐらいの、大きな会社の重役さんにも。みんな吃驚した顔をしますよ。その顔を見るのが面白くて

    〈著者/宇野千代 文(聞き書き)/三宅菊子〉

    本記事は『宇野千代 ちょっと自伝』(マガジンハウス)からの抜粋です



    宇野千代(うの・ちよ)
    1897(明治30)年、山口県岩国市生まれ。小説家、編集者、着物デザイナー。 岩国高等女学校卒業後、小学校代用教員などを経て、1921年に『脂粉の顔』が「時事新報」懸賞小説の一等に当選し作家デビュー。尾崎士郎や東郷青児との恋愛・同棲、北原武夫との結婚・離婚など、波乱万丈で自由奔放な生き方は時代を超えて多くの人を魅了した。 作家活動にとどまらず、日本初の女性ファッション誌『スタイル』を創刊し、また着物デザイナーとしても幅広く活躍。1957年に名作『おはん』で野間文芸賞および女流文学者賞、1982年には菊池寛賞を受賞。100万部を超えるベストセラーとなった自叙伝『生きて行く私』をはじめ、情熱的でしなやかな人生観を綴った多くの作品を遺し、98歳で没するまで精力的に執筆を続けた。

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    『宇野千代 ちょっと自伝』(マガジンハウス)|amazon.co.jp

    『宇野千代 ちょっと自伝』(宇野千代・著、三宅菊子・聞き書き/マガジンハウス・刊)

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    NHK朝ドラ主人公のモデル、宇野千代の語り下ろしと70点を超える貴重写真が1冊に
    宇野千代は、明治30(1897)年、山口県岩国市に生まれ、小説家として『色ざんげ』『おはん』『生きていく私』などのベストセラーを生み出したほか、着物デザイナー、実業家、モデルとしても幅広く活躍しました。本書は、宇野千代が88歳から91歳のときに語り下ろされた言葉をまとめた一冊です。自宅や別荘をはじめ、故郷の岩国、思い出の湯ヶ島、きもの工場など、さまざまな場所を訪ねながら人生を振り返った「ちょっと自伝」。ここでしか見られない70点超の貴重写真とともに、宇野千代のしなやかでまっすぐな「生きが好い人生」を、本人の言葉でお楽しみください。



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