• NHK連続テレビ小説『ブラッサム』の主人公のモデルとして話題の作家・宇野千代。小説家として数々のベストセラーを生み出したほか、雑誌をつくったり、着物のデザインを手がけたり、恋に夢中になったり……。そんな波乱万丈の人生を送った彼女が、88歳から91歳の人生の終盤で語った、行き当たりばったりの人生と、心のもち方について。しなやかでまっすぐな言葉をお届けします。
    (『宇野千代 ちょっと自伝』より)

    百二十五まで生きる

    百二十五まで生きるってのはわたしの口癖ですけれどもね、百二十五まで、頭が呆けないで、仕事ができたら面白いですね。できるかしら。

    もしできたら、みんなのために見本になります。呆けないで生きていられますよ、皆さんもわたしの真似をなさいって、言えますね。何とか、そういうふうなものになりたいね。百まではあと十年ですから雑作ないけれども……。

    まぁわたしの人生、みな、行き当たりばったり。ただ歩いていたら家があったから―部屋数とか日当たりとか、そんなことは考えない。ここに住みたいという雰囲気だけなのよ。―探そうと思って歩いていたわけでもないのに、それで四谷の大番町に家を借りちゃった。

    何でもそんな風なやり方でした。それで罰が当たったとか、やり損なったとか、不便な思いをしたことは一度もないのね。みなよかったのね。……と、思うんです。

    わたしはいつでも楽しいよ。楽しくないなんてこと、一度もない。

    画像: 百二十五まで生きる

    どんな大別嬪でも、つまらない生活していると、つまらない顔になる。それに、暇だと、つまらないことばかりして暮すようになる。

    男に愛された女ってのは、ほんとに幸せねぇ。わたしなんかそんな経験が一度もない。こっちが愛してやったばっかりだけど。

    でも、どうですか、自分も、自分を保って行くのには責任があるんじゃないでしょうか。男に愛されるだけではなくて……。

    自分の顔を保って行く、その保ち方が大問題なんだけれど、まぁわたしみたいに、朝から晩まで自分の顔のことを気にしている女はないんじゃないかしら。そりゃあ気にするのよ、それだから、やっとこさ、保っているんですよ。

    沢山食べないと頰っぺたがペチャンコになる。それよりまず睡眠。睡眠が上手にとれないと、顔はもうめちゃめちゃですね。

    着物は、紺とグレーと白と黒、長年、好きな色がきまっていますから。今日はどういう気分だからどの着物、なんていう選び方をする余裕はないですね、第一に顔なの、昔っから。

    昔、貧乏だった時分には、一年中同じ着物を仕立て返しては着て、寒いとか暑いとかってことさえ考えの中に入らなかった。

    行き当たりばったりの人生に悔いはない

    若い頃はね、生活がつまらないか楽しいかなんてことより、困っているっていうことだけがテーマでね。それでも、困ってるなと、思ったことがないのは、わたしの不思議な性質ですね。

    入れるときから流すっていうのを承知で、質屋に着物を持って行く。それが日常生活なんですね。金に換えたいときには、売るのは面倒だけど、質屋へ入れることはすぐですから―そういう貧乏も平気。

    画像: 行き当たりばったりの人生に悔いはない

    わたしはね、嫌いなことでもやっているうちには厭でなくなるの。女学校のときにね、一週間に十八時間の裁縫がありました。昔の女学校っていうものは、嫁入りの支度でしたからね。最後には十二単まで教わりましたよ。嫌いだなんて言ってられないんです。嫌いでしたけど、お裁縫は。

    で、とっても上手でした。嫌いなのに、やっているうちには、それが職業になっても平気になるぐらい、好きではなくても、平気でしたね。

    そのお裁縫のお蔭でね、わたしの一生は、皆それのお蔭だと思いますよ―馬込の頃は、着物はもちろん、足袋も自分で縫いました。足袋は、上手に縫うのが自慢でね。

    そうやって結局は行き当たりばったりに、わたしの一生は、面白いってことに追いかけられてきました。だから、悔いはないですね。

    人間って面白いよ。自分は何も変ったことはない、と思うんだけれども、他人から見たら、みんな変ってるのよ、同じ人っていないのよ。

    昔はわたし喧嘩早くてね、あんなこと、怒らなくても、と普通の人なら思うようなことをすぐ怒ったりね。それが、この頃は、腹を立てない。

    自然にね、言いたいことは我慢しないで何でも言えるようになったからでしょう。腹が立つ、不機嫌になる、ということは、ほとんどないと言っていいくらいです。

    気の持ち方が一番大切ね。くよくよしたり、人の悪口を言うくらい健康に悪いものはありませんよ。

    無理はしない、でも自分を怠けさせない。怠けさせないのは気持がいいことですよ―気持よく自然にしていて、自然に腹が立たないんだから。それが今のわたしにはごく普通の状態なの。

    〈著者/宇野千代 文(聞き書き)/三宅菊子〉

    本記事は『宇野千代 ちょっと自伝』(マガジンハウス)からの抜粋です



    宇野千代(うの・ちよ)
    1897(明治30)年、山口県岩国市生まれ。小説家、編集者、着物デザイナー。 岩国高等女学校卒業後、小学校代用教員などを経て、1921年に『脂粉の顔』が「時事新報」懸賞小説の一等に当選し作家デビュー。尾崎士郎や東郷青児との恋愛・同棲、北原武夫との結婚・離婚など、波乱万丈で自由奔放な生き方は時代を超えて多くの人を魅了した。 作家活動にとどまらず、日本初の女性ファッション誌『スタイル』を創刊し、また着物デザイナーとしても幅広く活躍。1957年に名作『おはん』で野間文芸賞および女流文学者賞、1982年には菊池寛賞を受賞。100万部を超えるベストセラーとなった自叙伝『生きて行く私』をはじめ、情熱的でしなやかな人生観を綴った多くの作品を遺し、98歳で没するまで精力的に執筆を続けた。

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    『宇野千代 ちょっと自伝』(宇野千代・著、三宅菊子・聞き書き/マガジンハウス・刊)

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    NHK朝ドラ主人公のモデル、宇野千代の語り下ろしと70点を超える貴重写真が1冊に
    宇野千代は、明治30(1897)年、山口県岩国市に生まれ、小説家として『色ざんげ』『おはん』『生きていく私』などのベストセラーを生み出したほか、着物デザイナー、実業家、モデルとしても幅広く活躍しました。本書は、宇野千代が88歳から91歳のときに語り下ろされた言葉をまとめた一冊です。自宅や別荘をはじめ、故郷の岩国、思い出の湯ヶ島、きもの工場など、さまざまな場所を訪ねながら人生を振り返った「ちょっと自伝」。ここでしか見られない70点超の貴重写真とともに、宇野千代のしなやかでまっすぐな「生きが好い人生」を、本人の言葉でお楽しみください。



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