(『天然生活』2014年7月号掲載)
昔からずっと続く味を子どもに、孫に残していく
桶から手づくりして醤油を仕込む
古桶と並んで、白木のまぶしい新桶が据えてありました。
「昨年の秋にできたばかり。ぼくが、知り合いの大工と一緒につくりました」と山本さん。
きっかけは、桶の新調でした。ヤマロク醤油の木桶は、多くが100年ほど前につくられたもの。あと50年で木桶の寿命が尽きてしまうことを知った山本さんは、2009年、あわてて大阪・堺の製桶所に新桶を発注しました。
自分の桶は自分で直せるようにしとけや
「醸造用の木桶を製造できるのはいまやそこだけだというのに、親方は『醤油桶を新しくつくってほしいと頼まれたのは、おたくが戦後初や。跡継ぎはいないし、わしも、いつまでできるかわからん。自分の桶は自分で直せるようにしとけや』というんです。いつの間にか大変な時代になっていたんだと、愕然としました」
古い木桶は、解体して組み直せば、さらに20年ほど使えます。けれども、それでは子孫が苦労するでしょう。考えた末、山本さんは、桶屋になろうと思い立ちました。醤油屋をやめるのではない、桶屋もできる醤油屋になればいいのだ、と考えたのです。
山本さんは新たに3本の桶を発注し、それを教材に、知人の大工ふたりとともに桶のつくり方を教わりました。島へ帰ると、さっそく桶づくり開始です。材料は吉野杉。桶の周囲に巻き留める“タガ”は竹。こちらは、小豆島で切り出すことに。
子孫に受け継ぐ桶を、自分の手で……。
山本さんは島内を訪ね歩き、理想の竹林を見つけます。そこは適度に間引かれて日が入るため、竹が長くまっすぐに育っていました。これなら、直径2m以上ある桶も留められそうです。
「竹を譲ってくれませんか」と山本さんが持ち主に願い出ると、「なに水くさいこといっとる!」と一喝されました。
「俺は昔、おまえのじいさんと約束したんだ。『いつかここの竹をタガに、醤油桶をつくろう』と」
子孫に受け継ぐ桶を、自分の手で……。亡き祖父もまた同じ思いを抱いていたことを、山本さんは知ったのでした。
ひとつの味を守るためにひとりひとりができること
木桶づくりがこの島で始まったことを知り、他の醤油醸造所も応援してくれました。今年の「ヤマロク祭り」ではタガづくりもお披露目。子どもたちは木桶やタガで遊びながら、醤油桶に親しみます。
「大きくなったら桶屋になる!」と7歳の次男が叫びます。「僕は醤油屋」と、9歳の長男。山本さんは、そんなわが子をやさしく見守ります。
「ぼくらの先祖も、それぞれにそのときの役割を務めたんでしょう。ぼくはたまたま、桶が消える時代に醤油屋をしていた。ぼくの子や孫が桶屋をすれば、醤油、味噌、みりん、酢……木桶を使う本物の発酵調味料が100年後まで残るかもしれない」
100年先の世の中は、だれにもみえません。それでも、いまのこの努力が未来の人々を喜ばせることができると、山本さんは信じています。天然醸造に携わる人は、普通の人よりも長いスパンで、ものをみているのかもしれません。
小豆島の気候と、この地で暮らす微生物、年月を重ねた醤油蔵、木桶、働き者の職人……。目に見えるものと見えないものが助け合いながら、醤油はゆっくりと醸されていきます。
<撮影/鈴木静華>
ヤマロク醤油
150年ほど前に、醤油を搾る前の「もろみ」専門店として創業。昭和24年から、醤油醸造まで手がけるようになった。
香川県小豆郡小豆島町安田甲1607 ☎0879-82-0666
http://yama-roku.net/
※トップの写真について
熟成を終えたもろみを布に包み、何十枚も積み重ねてプレス。生醤油を圧搾していく。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです