(『天然生活』2014年7月号掲載)
色とりどりの、やさしい手まり
まず目を奪われるのは、可憐な花模様や幾何学模様。色合いがなんともやさしく、手のひらにのせれば素朴な木綿の糸が心地よい。
糸の染料には、季節ごとに集めた、身近な草木も使われています。栗、びわ、かるかや、柿渋、藍……。
これが「讃岐かがり手まり」。香川の郷土玩具です。
この地が“讃岐国”と呼ばれていた江戸時代、木綿は塩・砂糖とともに「讃岐三白」と呼ばれる名産品でした。しかも、暖かく雨の少ないこの地では、多様な植物が育ちます。
その草木を用いて木綿糸を染め上げることは、ここで暮らす人たちにとって、無理のない手仕事だったのです。
最後のつくり手から技術を受け継いで
かつて手まりは全国でつくられ、子どもたちの遊び相手となっていました。
裕福な家には絹の手まり、一般家庭には木綿や和紙のまり。芯の材料は安価な“ぜんまい”の綿や、かんな屑など。
身近なものでこしらえられる。これが、各地に根づいた大きな理由でしょう。
明治10年代、ドイツからゴムまりが輸入され、国内で大量生産されるようになります。高く弾むゴムまりは幼い心をつかみ、素朴な手まりは、静かに姿を消しました。
昭和時代、この玩具に再び光を当てたのが、香川県観音寺市出身の荒木計雄さん。
香川県庁に勤めていた計雄さんは、柳宗悦が提唱した民藝運動に心を寄せ、日本各地の生活工芸品や郷土玩具を集めた県立の「讃岐民芸館」設立に力を注ぎます。そのとき出合ったのが、地元に伝わる手まりでした。
「観音寺では92歳のおばあさんがほそぼそとつくっていた。手染めの草木染めはやっかいで、リリヤン(人造絹糸)や化繊糸に押され、本来のものが消える寸前。後継者はいなかった」と、計雄さんは生前に語っています。
苦労してその技術を復活させた計雄さんは、昭和58(1983)年、妻の八重子さんとともに「讃岐かがり手まり保存会」を設立したのでした。
地道な活動が続きました。八重子さんが台所で糸を染め、「菊かがり」をはじめとする20種ほどの伝統柄にかがります。
一方、計雄さんは各所へ出向いて講演をし、つくり方を指導。また、「讃岐習俗参考館」を私設し、各地で集めた資料や生活道具を公開しました。
ガラスケースに飾るのではなく、日常のなかで親しんでほしい
荒木夫妻が亡くなってから10数年。現在、保存会は嫁の永子さんに引き継がれています。
手まりの柄は、伝統柄、創作柄を合わせると、100種以上になりました。
手持ちの雑貨と組み合わせて、窓辺や棚の上に。お香の入った小さな手まりは、クローゼットに忍ばせれば衣服に香りが移ります。これは永子さんのアイデア。
「いまの私たちには手まりで遊ぶ習慣はありませんが、目に触れるだけでほっとして、豊かな気持ちになれます。ガラスケースに飾るのではなく、日常のなかで親しんでほしい」と永子さん。
アメリカで彫金を学んだ永子さんは、20代のとき、実家の近くにあった「讃岐習俗参考館」へ通いました。計雄さんが語る民藝の世界に引き込まれたのです。
真剣に学ぶ姿勢に打たれた計雄さんと八重子さんは、次男を引き合わせます。こうして永子さんは結婚し、荒木家の一員となったのでした。
手まりづくりを手伝うたび、八重子さんは柔和な笑顔で励ましました。そうそう、花びらはやさしく、まあるく、花が咲いているようにつくるんや……。
「いま、私も同じことをいって教えてる。『ほら、花びらは丸くてやさしげやろ』って」
美しい模様の秘密
1 地球にラインを引くように
籾殻の芯に、地巻き糸を巻いて球体をつくります。これを地球に見立て、北極、南極、赤道と糸を渡し、さらに細かく分割。これが“地割り線”。
2 2本取りでかがるから、力強い
通常は、刺しゅう糸より太い木綿糸を2本取り。地割り線を目安に、規則的に交差させます。針を土台に刺すたび籾殻がサクッと鳴り、気持ちいい。
3 糸をいじめないように
かがるときは、毛羽立ちを少なくするために、糸をなるべくしごかないようにします。手まり全体を包み込むように木綿のほのかな光沢が宿ります。
<撮影/鈴木静華>
荒木永子(あらき・えいこ)
讃岐かがり手まり伝統工芸士。香川・観音寺市生まれ。彫金の仕事を経て、讃岐かがり手まりの道へ。現在、「讃岐かがり手まり保存会」代表を務めている
讃岐かがり手まり保存会
香川県高松市鶴屋町5-1 香食ビル2F ☎087-887-4043
http://www.sanuki-araki.jp/hozonkai/
※トップの写真について
手まりの土台は、籾殻の芯に木綿糸を巻き球形にしたもの。2本取りの木綿糸で表面をすくいながらかがり、模様をつくる。糸が重なって凹凸が生まれ、立体的な仕上がりに
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです