(『天然生活』2014年7月号掲載)
いまの暮らしに息づいてこそ伝統は生きつづける
讃岐かがり手まり「手から手へ、つながっていくもの」より続き —
話が計雄さんに及ぶと、永子さんは少しだけ表情を硬くします。
「義父は厳しい人でした。ちょっとでもアレンジすると、『個性を出したらだめだ』と叱るんです」
手元のアルバムには、計雄さんの実演会を手伝う永子さんの姿が写っています。作務衣を着た永子さんは、白い顔をうつむかせて手まりをかがっています。
「義父は窮屈で重たかったけれど、義父の話には、まっさらな状態で耳を傾けようと思いました。きちんとした伝統技術や形はおろそかにできない、と思っていたから」
でも、と永子さんは絞り出すように言葉を継ぎます。義父の考えは、いまでもわからない、と。
「『讃岐習俗参考館』も『私の思いを継いでくれる人がいなければ、ここを残しても意味がない』と、亡くなる直前に資料を手放し、閉館してしまったんです。もし義父がいま私のつくる手まりを見たら、怒るでしょうね」と、永子さんはさびしそうにほほ笑みました。
ふと、先ほど目にしたもう一枚の写真がよみがえってきました。それは、地元の新聞に掲載されたモノクロ写真。永子さんがうれしそうに手まりに触れ、その隣で計雄さんが手まりの説明をしています。
白髪の計雄さんは、いかにもいかめしい風貌。けれどもよく見ると、眼鏡の奥の目はやさしく笑っているのです。記事のなかで計雄さんは「永子は出藍の誉れ」とも語っています。師よりも出来のよい弟子、という意味です。
計雄さんが願ったのは、素朴な手仕事が無名の人々の日常に息づくことでした。もしかしたら参考館を閉めたのは、手まりを次世代の日常に解き放つための手段だったのかもしれません。
実際、計雄さんが資料を手放したために、永子さんは、知識ではなく自分の手を動かして手まりへの理解を深めることになったのですから。
「懐かしさだけでなく、いまの生活に取り込まれてこそ、伝統は生きてつながると信じています」と永子さん。手まりの材料やつくり方は変えず柄や用途を広げているのは、こうした理由からです。
今、讃岐かがり手まりのつくり手は150人ほど。仕事や家事の合間を縫って、糸をかがります。心弾ませるつくり手たちを見つめる永子さんの笑顔に、計雄さんのあのまなざしが重なります。
人から人へ、手から手へ。細く、たくましい木綿糸に励まされて、手仕事の日常は続いていくのです。
<撮影/鈴木静華>
荒木永子(あらき・えいこ)
讃岐かがり手まり伝統工芸士。香川・観音寺市生まれ。彫金の仕事を経て、讃岐かがり手まりの道へ。現在、「讃岐かがり手まり保存会」代表を務めている
讃岐かがり手まり保存会
香川県高松市鶴屋町5-1 香食ビル2F ☎087-887-4043
http://www.sanuki-araki.jp/hozonkai/
※トップの写真について
「讃岐かがり手まり保存会」アトリエ、玄関のあしらい。草木染めの色は、植物とも合う。緑の葉っぱとともに飾ると、とてもさわやか。手まりが、まるで可憐な花のよう
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです