「包丁の切れ味を長く保つ最大の秘訣は、いい包丁を選ぶこと」と林さんはいいます。そこで、包丁選びについてお話をお聞きしました。
いい包丁を見極めるポイントは、実は値段です
「いい包丁とは、よく切れるのは当たり前で、『よい切れ味が長く続く』のが本当にいい包丁です。切れ味は研ぎ方である程度決まり、よい切れ味が長く続くのが、その包丁が持つ素養になります。では、一般の人がどうやっていい包丁を見極めたらいいかというと、実は値段もそのひとつなんです。
というのは、いい包丁には『材料がいい』『いい焼き入れが施されている』『いい刃付けがされている』という3つが不可欠で、これらの条件をクリアするにはどうしても製造コストがかかり、包丁の価格が上がるからなんですね」
「購入するときは、きちんと正しい説明をしてくれるお店でお選びになるといいと思います。なかにはご家庭で簡単に研げない包丁もあるので、自分で研げる包丁を選ぶのもよいでしょう。どんなにいい包丁でも使えば必ず切れ味は悪くなるからです」
鋼とステンレス、どちらがいい包丁か
「『鋼(はがね)とステンレスのどちらがいいか』とよく聞かれますが、両者は実は元は同じ鉄と炭素の合金でできていて、基本的にはステンレスはクロムが混ぜてあるだけの違いしかありません。クロムの効果でステンレスはサビに強い。ほかにも違いはありますが、切れ味の要素としては大差がないため、それだけではどちらが切れるとは簡単にはいえません。
ただ、値段を元に比較はできます。極端な話ですが、たとえば一万円の鋼と千円のステンレスでは鋼がいいに決まっています。反対に、千円の鋼と一万円のステンレスなら、ステンレスのほうが断然上。サビに強いことを考慮すると、一定以上の品質のステンレス包丁が、ご家庭で使いやすくていい道具だと思います」
包丁は種類がいろいろ。どう揃えたらいいですか?
「包丁には和包丁と洋包丁があり、和包丁は片刃のものが多く、目的が特化されているものが多い。洋包丁は両刃で、目的が広めです。野菜、肉、魚と広く活用できる三徳包丁を1本持つでもいいのですが、『楽しく、美味しく』お料理をしていただきたいと思うと、やはり何種類かお持ちになるのをおすすめします。
たとえば、刃渡り21cmほどの牛刀とペティナイフ、あとはどんな料理をするかによりますが、魚をさばくなら出刃包丁と柳刃包丁を、野菜のおかずが多ければ薄刃包丁を持っていただくといいですね」
実は使い勝手がいい、牛刀と薄刃包丁
「大きい包丁には抵抗感がある方も多いとは思いますが、牛刀はとても使いやすい包丁です。刃渡り全部使わなくとも先端半分だけで切ってもいい。肉や野菜を切るのはもちろん、先端の尖りで切り込みを入れる作業にも便利です。刃渡り21cmほどなら、ある程度の大きさのまな板であればおさまるでしょう。
野菜用の和包丁の薄刃包丁もおすすめです。お刺身用のつまやキャベツの千切りなんかは、包丁で切ると、やっぱり美味しいんですよね。同じく野菜用の和包丁で両刃の菜切り包丁もありますが、桂むきをする場合は、片刃の薄刃包丁がいいと思います」
包丁の切れ味を長く保つ秘訣とは
「切れ味を長く保てる包丁を選ぶ秘訣は、いい包丁を選ぶことです。あとは、まな板で切るときの包丁使いも重要。実は、カニや魚の骨などの硬いものは除いて、食材を切るのは包丁にとってそれほどダメージではないんです。まな板にあたることの方がダメージが大きく、刃がつぶれる原因になります。
叩き付けるように切るのはよくありません。刃物は滑らせるとよく切れますので、食材に対して滑らせるようにしてスッと切れば、刃先がまな板にあたる衝撃も少なく、刃へのダメージを減らせます」
「細かく切った食材を刃先でよけるのも、まな板で刃先をつぶすことになるのでよくありません。包丁を上下逆さにして、峰(包丁の背の部分)でやったり、スクレーパーを使うといいですね。
硬いまな板は刃先へのダメージが大きいので、まな板選びも大切です。一般的には木製のほうが柔らかく、なかでもヒノキやイチョウがいいといわれています。保管の際は、包丁差しなどに入れるときに、刃先があたるとつぶれることがあるので、ご注意ください」
包丁研ぎのQ&A 素朴な疑問に答えます
Q1 簡易砥ぎ器で研ぐのは、よくないの?
「簡易砥ぎ器による研ぎは、本格的ではありませんが、ものすごく簡単に研げて利便性が高いです。ですので、決してよくないわけではありません。ただ、あまり刃持ち(切れ味が続くこと)がよくない場合が多い。
それに比べ、砥石を使うと本格的に研げて包丁の素養を引き出してあげられます。皆さんお忙しいでしょうから、普段は簡易研ぎ器でささっとやって、ときどき砥石で研ぐという方法もあります。簡易砥ぎ器で研ぐ際は、包丁のあご(刃もとにある刃の角)のぎりぎりから、切っ先(刃の先端)まで刃全体を研ぐようにしましょう」
Q2 研ぎに失敗したら、包丁はダメになる?
「鋼もステンレスの包丁も、そうそうダメにはなりません。包丁に使われる金属は、鉄なんかに比べると硬くて強いんですね。『研ぐ=削る』ですが、よほどの力でやらない限り大丈夫。もちろん同じ場所だけ研ぎ続ければ刃の形が崩れますので、研ぎ方を理解していればというのが前提です」
Q3 研ぎ過ぎると、包丁の寿命は短くなる?
「『短くなる』が正解です。長年研ぎ直していると刃幅(刃から嶺の幅)が少しずつですが狭くなっていくので、そういう意味で寿命は短くなります。ですので、研ぐのは必要最小限が望ましいですね」
Q4 包丁を研ぐ頻度と、研ぐタイミングの見極め方は?
「包丁の素養や使い方によってずいぶん変わりますし、使い手が切れ味をどこまで求めるかにもよるので、研ぐ頻度は具体的にはいえません。自分が切れ味が悪いと思ったときが、研ぎどきです。
トマトを切ってみると、よく切れる包丁ではなんの抵抗もなくすーっと刃が入りますが、切れ味が落ちていると、皮がくにゃーとへこんで、ぷつんとつぶれるように切れる。これは重症ですので、そうなる前に研いでください」
Q5 自分で研ぐだけで十分? 時々はプロに依頼するもの?
「自分で研ぐだけで十分ですので、どんどん研いでみてください。ただ、Q3でお話ししたように、長年研ぎ直していると、刃幅が次第に狭くなります。狭くなるにつれ刃が包丁の厚い部分に近づいていき、いくら刃先が尖っていても、食材を切るときの抵抗が大きくなり、切り裂くときに重く感じられるようになります。
そうなったら包丁の厚みを研いでそぎ落とせばいいのですが、なかなか難しい作業ですので、それができるプロに依頼するのも手ですね」
Q6 砥石はどんなものがあるといい?
「砥石には天然と人造がありますが、包丁研ぎに使うなら品質が一定していて、比較的低価格な人造がいいでしょう。性能も十分なものが多いです。人造砥石には、粒子の粗さの違いで、荒砥石・中砥石・仕上げ砥石の3つがあります。刃こぼれには荒砥石と中砥石が必要ですが、そうでなければ、中砥石だけで十分です。
さらになめらかな切れ味を望むなら仕上げ砥石を使いますが、それはお好みで。荒砥石と中砥石が表裏で一体になった砥石も売っており、ひとつあれば急な刃こぼれにも対応できます。研ぐときの安定性や効率を考えて、ある程度大きなものがおすすめです」
Q7 鋼の包丁を錆びさせないようにするには?
「清潔と乾燥が一番なので、よく洗ってよく乾かすことですね。塩分や酸が包丁についていると、大気中の成分と結びつき、サビが出やすくなるためです。とくに鋼の包丁の場合をしばらく使わない場合は、薄く油を塗っておくとサビが出にくい。椿油などをキッチンペーパーにつけて、包丁にこすりつけるだけです」
Q8 錆びが出てしまったら、どうやって落とす?
「『さび消しゴム』というのがあり、これでこすると簡単にサビが落ちます。サビ取りをするときは、危ないので包丁を持ち上げたままこすらないこと。必ず平らなところに置いて、刃が浮いていない状態で作業しましょう。
鋼のサビで落とす必要があるのは赤サビです。鋼の包丁には薄茶や薄黒い膜ができることがありますが、それは赤サビとは違い、サビを防ぐ役目もしているので、落とす必要はありません」
<撮影/林 紘輝 取材・文/諸根文奈>
林 泰彦(はやし・やすひこ)
貝印株式会社の資格制度である「マイスター 制度」の責任者であり、包丁シニアマイスターの資格を持つ。初代包丁マイスター。小学校2年生のときから包丁を研ぎ始め、包丁研ぎ歴約50年というキャリアの持ち主。国内はもとより海外でも包丁研ぎのセミナーやデモンストレーションに登壇し、包丁愛に満ちた熱のこもった講座が多くの人に人気を集めている。
諸根文奈(もろね・ふみな)
出版社にて、パンやスイーツ、ナチュラルフードなど多数のグルメガイドの編集に携わったのち、出産を機にフリーランスに転身。食べる人のことを思って丁寧につくられた、体にやさしくておいしい食べ物が大好き。特技は極狭キッチンでやりくりすること。