明治期の地方の大地主が庭園美を楽しむために建てた和洋折衷の邸宅
ドーム屋根が印象的なこの建物は、地元の大地主である清藤家25代当主の清藤辨吉(せいとうべんきち)によって、明治42年に建てられました。一見するとなかなか堂々とした洋館に見えますが、実はこの建物、2階部分は洋館で1階部分は和館という “和洋折衷様式” で建てられているのです。
当時、地方の名士にとって洋館を建てることは大きなステータスでしたが、実際にそこで暮らすには何かと不便も多かったようです。そこで考え出されたのが、客を迎える洋館と家族が暮らす和館を、横に並べて併置するという方法でした。
しかし、盛美館では和館と洋館を横に並べずに、大胆にも上下に積み上げたのです。
というのも、この建物が建つ「盛美園」という日本庭園は、津軽に伝わる作庭流派である武学流による枯山水地泉回遊式の名庭園として知られており、辨吉は洋館を建てるにあたって、この庭園の美しさを1階だけでなく2階からも楽しめるようにしたのです。
建物内部は大地主の邸宅と呼ぶにふさわしい贅を尽くした造りで、意匠を凝らした欄間の仕上げや豪華絢爛な襖絵など、細部の仕上げのクオリティは見応え十分。
全体として純和風の空間構成のなかに、漆喰で大理石を模した床柱をつくって床の間を飾り、漆喰彫刻を施したシャンデリアの中心飾りで天井を彩るなど、随所に洋風な表現が見られます。
盛美館の設計・施工を担った棟梁の西谷市助は宮大工でしたが、この洋館を建てるために青森県で洋風建築を数多く手がけていた堀江佐吉の下で洋風建築を学び、東京まで洋館の視察にも出向いたそうです。
明治期の大地主のこだわりと宮大工のプライドが凝縮されたこの和洋折衷の館は、本州最北の地でいまなお名庭園と美しく調和しながら静かに時を刻んでいます。
余談ですが、盛美館はスタジオジブリのアニメーション作品『借りぐらしのアリエッティ』に登場する屋敷の世界観をつくる際の、参考イメージにもなったことでも知られています。
盛美館
所在地/青森県平川市猿賀石林1
設計/西谷市助
施工年/明治42年(1909)
【見学情報】
[開館]9:00〜17:00(4月中旬〜11月中旬)、10:00〜15:00(11月中旬〜4月上旬は冬季営業)
[休館]年末年始(12/29〜1/3)
[料金]一般430円・中高生270円・小学生160円(小学生以下無料、冬季営業中は割引料金)、4月中旬から一般500円・中高生330円・小学生220円(小学生以下無料)
[交通]弘南鉄道弘南線「津軽尾上駅」より徒歩10分
写真/伊藤隆之(いとう・たかゆき)
1964年、埼玉県生まれ。早稲田大学芸術学校空間映像科卒業。舞台美術をてがけるかたわら、日本の近代建築に興味を持ち写真を学び、1989年から近代建築の撮影を始める。これまでに撮影した近代建築は2,500棟を超え、造詣も深い。『日本近代建築大全「東日本編」』『同「西日本編」』(ともに監修・米山 勇/刊・講談社)、『時代の地図で巡る東京建築マップ』(著・米山 勇/刊・エクスナレッジ)、『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作』(監修・内田青蔵/刊・エクスナレッジ)などに写真を提供してきた。著書には『明治・大正・昭和 西洋館&異人館』(刊・グラフィック社)、『看板建築・モダンビル・レトロアパート』(刊・グラフィック社)、『日本が世界に誇る 名作モダン建築』(刊・エムディーエムコーポレーション)などがある。
文/後藤聡(ごとう・さとし)
近代建築を愛好するライター。とくに、明治から昭和初期に建てられた洋館に愛着が深く、建物の細部に見え隠れする、かつての住人や建築に関わった人たちの息づかいを見出し楽しんでいる。『時代の地図で巡る東京建築マップ』『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作Ⅱ』(刊・エクスナレッジ)、『世界がうらやむニッポンのモダニズム建築』(刊・地球丸)などの執筆を担当。