平成の天皇・皇后両陛下(上皇・上皇后両陛下)のご成婚60年を記念し、宮中に伝わる四季折々のお料理や宮中行事のお料理を、宮内庁の監修により初めて公開した書籍『宮中 季節のお料理』。両陛下が日々お召し上がりになるお料理ではなく、お正月や節句などの季節の節目や両陛下のお誕生日、宮中祭祀などの年中行事の折に、宮殿や御所で供されるお料理を掲載しています。本書籍に掲載されたお料理の中から、一部を紹介いたします。今回は、お正月の三が日、ご夕餐の御祝御膳の後に、両陛下に出される「御祝菓子(おいわいがし)」を。
『宮中 季節のお料理』より
『宮中 季節のお料理』より
御祝菓子|一月一日・二日・三日 ご夕餐後 御所にて
お正月の三が日、ご夕餐の御祝御膳の後に、両陛下に出されるお菓子。内容は、干菓子のおこしと日替わりの和菓子に、お口直しとして酢に浸した昆布を添えます。
お菓子は、宮内庁の大膳課がつくります。おこしは、蒸した糯米(もちごめ)を乾かして煎った「生丸(きまる)種」を砂糖、水飴、水を煮詰めた蜜で固めたもの。
和菓子のうち、一日の「舞鶴」は、小豆の漉(こ)し餡(あん)に白い鶴の模様生地を入れた蒸し羊羹。二日の「水山吹」は、木枠に軽羹(かるかん)生地、羊羹生地、軽羹生地の順に3段に流し入れて蒸し上げたもの。軽羹生地は、くちなしの実で黄色に色づけします。三日の「九重の春」は、木枠に羊羹生地と、羊羹製の黄色い雲と緑色の森の模様生地、小豆粒を入れ、蒸し上げます。
コラム: おこしは高級菓子? 羊羹は羊のスープ?
現在では庶民的なお菓子といったイメージの「おこし」。そのルーツは、平安時代に遣唐使によって持ち込まれた唐菓子で、当初は貴族が賞味するお菓子でした。江戸時代には、庶民でも調達が容易な材料でつくることができたことから、駄菓子や間食として全国に広まりました。
羊羹のルーツもまた中国です。とはいっても、中国の羊羹はお菓子ではなく、羊の羹(あつもの)、つまり羊の肉を使ったスープの類でした。鎌倉~室町時代に禅僧によって日本にもたらされましたが、禅宗では肉食が禁じられているため、羊肉に見立てて小豆を用いたものが、のちの羊羹の原形になったといいます。
一方、軽羹は、江戸時代半ばに薩摩藩(現在の鹿児島県)で誕生したとされています。