上の写真は、アメリカ・マサチューセッツ州ハンコックに残る、シェーカー教徒の村。博物館として、当時のままに保存されている。最小限の家具での、質素な暮らしがうかがえる
(『天然生活』2016年7月号掲載)
宇納正幸さんの暮らしに溶け込むシェーカー
そぎ落とされた美しさの家具が生まれた背景とは?
「シェーカー家具は、どれも潔いまでにシンプルですよね。それは、簡素で敬虔な暮らしのなかから生まれたものだからなんです」
京都の山間部にある工房で迎えてくれた宇納正幸さんは、こう語りだしました。現在、日本のシェーカー家具制作の第一人者といわれる宇納さん。そもそも、シェーカーとは何なのでしょうか。
「19世紀を中心に、アメリカで活動したキリスト教の一宗派です。俗世間を離れた田園で、自給自足の共同生活を送っていました。毎日、決まったスケジュールで早朝から祈りや労働に励むという、規則正しい日々だったと聞きます」
簡素なことが美徳であり、有用性のなかに美が宿る、といった理念から、シンプルを極めた家具が生まれました。
教団の活動はすでに終焉していますが、シェーカー家具は、モダン家具の先駆けとして多くのデザイナーたちに影響を与えつづけています。スレンダーなフォルムの椅子などは、いま見ても新鮮で、とても200年近く前のデザインとは思えません。
宇納さんがシェーカー家具に携わるようになったのは、20歳のとき。家具制作の技術を身につけたいと、飛驒高山のアリスファームの門を叩きました。
主宰者の藤門弘さんはシェーカー研究のオーソリティで、当時は、制作にも取り組みはじめたころ。シェーカー教徒は図面を残していないので、古い写真などを見ながら、藤門さんとともに試行錯誤の日々でした。
「無我夢中でつくりつづけ、しだいに軌道に乗ってきたのですが、シンプルなつくりだけに、同じ作業の繰り返しに迷いが出てきて……。独自の作品に挑戦したい、という気持ちが膨らんでしまったんです」
若かったしね、と笑う宇納さん。27歳で独立し、自身の家具制作を始めました。ところが10年後、北海道に拠点を移していた藤門さんから思わぬ依頼を受けます。シェーカー家具の制作をすべて引き継いでくれないか、と。迷った末に引き受けたものの、単に昔の形を模倣しているような感覚もあって、葛藤は続いたといいます。
「吹っ切れたのは、10年くらい前。『宇納さんなりのシェーカーをつくってみたら?』っていってくれた人がいて、真っ向から向き合おうと勉強しなおした。そうしたら、若いときにはわからなかった、精神的な魅力がみえてきたんです」
シェーカー家具と向き合う時間
工具や材料が整然と並び、静謐な空気が流れる宇納さんの工房。端正な家具は、端正な環境から生まれます。
暮らしから生まれた純粋な手仕事の結晶
昔は、見た目のシンプルな美しさしか認識できていなかった、と振り返る宇納さん。
「きちんと向き合うと、その美しさは、生活のなかで必要に応じて生まれ、磨かれてきた結果だとわかった。あくまで共同生活で皆が気持ちよく使うためだけに機能を追求したという姿勢に打たれたんです。そんなシェーカーの精神を象徴しているのが、この椅子です」
工房の壁にかかっていた「エンフィールドチェア」と呼ばれる細身の椅子を、ひょいと下ろした宇納さん。集会時など、あちこちに移動して使うことが多いため、簡単に運べるよう、軽く丈夫なメープル材でつくられています。
驚きなのは、後脚の底に付けられたティルターという調整具。脚自体が少し後ろに傾いていますが、背に寄りかかっても、うまく重心をとれるように考えられた仕掛けです。
「椅子といっても、祈りの時間に使うための道具。場所をとらないコンパクトさが一番に求められましたから。これは、大柄の男性でもなるべく快適に座れるようにと考えられたシェーカー独自の発明。そうした配慮から生まれた職人技に感服します」
シェーカーの無我の精神に触れるにつれ、昔はしんどかった同じ作業の繰り返しにも、無心に取り組めるようになったそうです。座面のテープを実際に編む工程を見せてもらうと、小気味よいリズミカルな動きに見とれます。
完成した家具から感じられる凜とした美しさは、こうした雑念のない作業のたまものなのでしょう。
<撮影/ヨシダダイスケ 取材・文/高瀬由紀子>
宇納正幸(うのう・まさゆき)
1960年、京都市生まれ。アリスファームを経て、「UNOH家具工房」を設立。1997年から引き継いだシェーカー家具を中心に、さまざまな家具制作を手がける。
※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです