外交官の華やかな暮らしが垣間見えるセンスあふれる洋館
その名の通り、明治期から大正期にかけて外交官として活躍した内田貞槌(うちだ・さだつち)によって、明治43年に東京渋谷の南平台に建てられた邸宅です。現在は横浜・山手地区にある「山手イタリア山庭園」移築復原され、往時の姿が無料公開されています。
設計は立教学院(立教大学)で教鞭を執るかたわら、建築家としても活躍していたアメリカ人のJ・M・ガーディナー。建物は木造2階建てで、下見板張りの外壁、天然スレート葺きの屋根、そして八角形のとんがり屋根の塔屋が付いた、アメリカンヴィクトリアン様式の影響を色濃く残す建物です。
庭園側から建物を眺めると、さまざまな形状の窓が建物を飾り、とても華やいだ雰囲気を受けます。
創建時は和館が付属する和洋折衷スタイルでしたが、和館は昭和47年に取り壊されており、現在は洋館との接続部分にかすかに和風の名残を留めています。
建物内部は1階が来客をもてなすための空間で、2階が内田家のプライベートな空間という構成になっています。
1階にはアール・ヌーヴォー風の意匠による食堂のほか、大小ふたつの客間があります。当時の外交官は自宅に来賓を招いて晩餐会を催すことも多かったため、そのお客様をもてなす空間である食堂はとても重要な場所でした。
この部屋だけ壁の木部が高く立ち上げられ、緩やかに曲線を描く装飾やマジョリカタイルを貼った暖炉型ストーブなど、見どころも豊富です。
窓から光が注ぎ込む階段を通って2階へ上がると、夫婦の主寝室や書斎、客用寝室、浴室などがあります。主寝室は2方向に窓があるためとても明るい空間で、寝室の奥にある塔屋の八角形の空間は、夫人の化粧室として使われていたそうです。
主寝室に隣接する浴室は、大きな窓から光が差し込むとても明るくて清潔な空間。水道は井戸水をポンプで汲み上げ、和館のガスボイラーから給湯していました。トイレは木製便座の洋式で、ハイタンク式の水洗でした。
定槌は外交官として上海、ソウル、ニューヨーク、ブラジル、アルゼンチン、そして北欧やトルコなど、延べ9か国に赴任しましたが、最も長かった任地がニューヨークでした。そんな、アメリカでの生活から大きな影響を受けて建てたのが、この外交官の家なのです。
平成9年の移築復原に伴って、この建物は国の重要文化財に指定されました。館内には当時の外交官の暮らしに関する資料なども展示されています。
外交官の家
所在地/横浜市中区山手16
設計/J・M・ガーディナー
施工年/明治43年(1910)
重要文化財指定/平成9年5月29日
【見学情報】
[開館]9:30〜17:00
[休館]第4水曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12/29〜1/3)
[料金]無料
[交通]JR根岸線「石川町駅」より徒歩5分
写真/伊藤隆之(いとう・たかゆき)
1964年、埼玉県生まれ。早稲田大学芸術学校空間映像科卒業。舞台美術をてがけるかたわら、日本の近代建築に興味を持ち写真を学び、1989年から近代建築の撮影を始める。これまでに撮影した近代建築は2,500棟を超え、造詣も深い。『日本近代建築大全「東日本編」』『同「西日本編」』(ともに監修・米山 勇/刊・講談社)、『時代の地図で巡る東京建築マップ』(著・米山 勇/刊・エクスナレッジ)、『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作』(監修・内田青蔵/刊・エクスナレッジ)などに写真を提供してきた。著書には『明治・大正・昭和 西洋館&異人館』(刊・グラフィック社)、『看板建築・モダンビル・レトロアパート』(刊・グラフィック社)、『日本が世界に誇る 名作モダン建築』(刊・エムディーエムコーポレーション)などがある。
文/後藤聡(ごとう・さとし)
近代建築を愛好するライター。とくに、明治から昭和初期に建てられた洋館に愛着が深く、建物の細部に見え隠れする、かつての住人や建築に関わった人たちの息づかいを見出し楽しんでいる。『時代の地図で巡る東京建築マップ』『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作Ⅱ』(刊・エクスナレッジ)、『世界がうらやむニッポンのモダニズム建築』(刊・地球丸)などの執筆を担当。