(『天然生活』2016年4月号掲載)
手触りのよさにひかれてこの世界に飛び込んだ
「秩父太織(ちちぶふとり)」の織り士・北村久美子さんがこの道に入ったのは23年前。短大卒業後、染色を志していましたが、たまたま東京で開かれていた秩父太織の個展に訪れたことがきっかけでした。
「布の風合いや、気持ちのいい手触りに魅せられてしまって」
会場で実演していた秩父太織作家の石塚賢一さんに弟子入りし、糸づくりから機織りまで、すべてを学びました。石塚さんが亡くなったあとも、貴重な技術を継承するひとりとして活動しています。
「何も知らずにこの世界に飛び込んだんです。でも、師匠をはじめ、いろいろな人との出会いのおかげで、成長してこられたと思います」
養蚕農家の人や、織った製品を買ってくれる着物問屋や小売店の老舗との出会いが、北村さんにとって転機になったといいます。
「『伝統の織物をつくっています』だけではだめ。売れるものをつくらなければ、残っていけない。そう強く思うようになりました」
自分で繭から糸を引いている理由のひとつも、そこにあります。
「お世話になっている問屋の方に『多くの競合者がいるなかで、何かひとつ、絶対に曲げないものをつくれ』といわれて。そこで、『せっかくよい養蚕農家と出会い、顔を合わせて繭を譲ってもらえる関係ができたのだから、この出会いを大切にして、一生、自分で糸をつくろう』と決めたんです」
「いま使えるもの」をずっとつくっていきたい
そんな北村さんにとって、現在、一緒に働く南さんとの出会いも大きなものでした。
数年前に、市内で秩父銘仙のプロモーションの仕事をしていた南さんとイベントなどを通じて知り合いになった北村さんは、彼女のセンスや技術力を高く評価していました。
そして、2年前に独立した際、南さんを誘い、昨年7月に、ふたりで工房「Handweaver Magnetic Pole」を立ち上げたのです。
2014年から1年間、スウェーデンで織物を勉強した南さんは、北村さんに秩父太織を一から学ぶと同時に、新しい風を吹き込んでいます。最近では、スウェーデンの織りの技法を太織の技術と組み合わせたり、一度に量産する技術を取り入れたりと、新しい試みにも挑戦しているところです。
「『いまの暮らしのなかで使えるもの』をつくる。それが大きなテーマです」と北村さんはいいます。
「そうでないと、手に取る人がいなくなり、秩父太織も消えてしまうでしょう。私は作家ではなく職人でいたいので、自分の名前は残らなくてもいいんです。でも、秩父太織の技術は、ぜひ将来に残していきたいと思っています」
静かに、でも力強く決意を語る北村さん。反物はもちろん、生活のなかの身近なものもつくっていきたいと目を輝かせる南さん。ふたりの女性の真摯な思いによって、秩父発祥の手仕事に、新たな伝統が築かれようとしています。
秩父太織ができるまで
解舒(かいじょ)
繭から糸を引き出す前の作業。繭を鍋に入れてお湯で煮て、セリシンというタンパク質を溶かし、繭糸をほぐす。
製糸
繭から、座繰り機という機械を使って、糸を引き出す。ひとつの釜に入っている繭の数は80〜100個。これらの繭の糸が合わさり、約1kmの一本の生糸になる。
精練
重曹と石けんを入れたお湯で糸を煮ながら、タンパク質などの不純物を取り除く。棒でかき混ぜ、ムラなく落ちるようにする。
染色、糊づけ
購入した染料のほか、採集した栗やクルミなどを使って染めることも。染色後には、うどん粉でつくった糊を糸につけ、強度を高める。秩父太織の糸は、撚りがかかっていないために強度がなく、そのままでは織れない。
織る
それぞれ種類の異なる織機4台を使い分けながら、着尺やショールなどを織っていく。
糊の除去
織り終わった布から、うどん粉糊を取り除く。酵素を使って分解し、きれいに洗い流す。
<撮影/村林千賀子 取材・文/嶌 陽子>
ハンドウィーバー・マグネティック・ポール
2015年7月、秩父市内に工房を構える。北村久美子さんは、埼玉県出身、43歳。短大のデザイン科を卒業後、この道へ。南麻耶さんは、神奈川県出身、27歳。学生時代から織物を学ぶ。「マグネティック・ポール」は「磁極」。ふたりの名前にある「北」と「南」に由来。
※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです