• 26歳で、日本人初の国際バレエコンクールで金メダルを受賞。以来、世界を舞台に、屈指のプリマ・バレリーナとして活躍。いまなお観客を魅了しつづける、森下さんの創造の原点を伺います。
    写真について:自身が団長を務める松山バレエ団・本部の稽古場「Museion(ムーセイオン)」にて。ハナエモリのショールを羽織り、柔らかな笑顔をカメラに向ける。「クーラーを止めているので、暑くてごめんなさいね」と細やかな周囲への気配りも
    (『天然生活』2016年9月号掲載)

    平和を願い、踊りつづけて

    画像: 年間300足も履きつぶすというトゥシューズ。およそ1日1足の計算で、いかに稽古がハードかが伝わってくる。新品に替えるときは、必ず古いシューズにお礼をいう。だれよりも物を大事にするその姿は、松山バレエ団員の間でも知られており、技術だけでなく心の教育を重んじる当団の思いがあらわれている

    年間300足も履きつぶすというトゥシューズ。およそ1日1足の計算で、いかに稽古がハードかが伝わってくる。新品に替えるときは、必ず古いシューズにお礼をいう。だれよりも物を大事にするその姿は、松山バレエ団員の間でも知られており、技術だけでなく心の教育を重んじる当団の思いがあらわれている

    続けたらきっとできるようになると信じる強さをもって

    バレエは魂で踊るもの。技術より心の美しさが大事

    東京・渋谷、満席のオーチャードホール。「ロミオとジュリエット」の主役として全幕を踊りきった、松山バレエ団のプリマ・バレリーナ、森下洋子さんは、惜しみない拍手喝采を一身に浴びていました。

    観客全員がその笑顔と躍動感あふれるエレガントできめ細やかな踊りに魅了されたことが伝わる、割れんばかりの拍手でした。

    67歳にしてなおトップを走りつづける森下さんは、実際にお会いすると、ざっくばらんで率直、驚くほどフランクな人でした。

    「私は、けっして器用ではないんです。体が弱かったので、体力づくりのために3歳からバレエを始めましたが、バレエにかぎらず体育も勉強も、みんなより上達が遅いし不器用なの。ただ、母が『どうしてできないの』と一切いわない人でした。みんなに遅れてもかまわない。一生懸命やれば、必ずできるようになると信じて、ここまでやってこられたのは、母の影響が強いかもしれませんね」

    森下さんは現在、松山バレエ団の団長を務めています。

    総代表は、夫の舞踊家、演出・振付家の清水哲太郎さん。併設の松山バレエ学校は全国に多くの支部をもち、幼児から大人まで、たくさんの生徒が通っています。

    ここで大事にしているのは、技術とともに心の豊かさです。

    「技術だけではだめなのです。バレエは魂で踊るもの。感謝、思いやり、人を愛する気持ち、いたわり。心は踊りに出ます。ですから、心を豊かにすること、つまり心を育てることを大事にしているのです。世界中をまわったけれど、『ひとりでは何もできない。みんなでやっていきましょう』という、うちのようなバレエ団は、ほかにないようですね」

    うちの子は体が硬いから向いていないのでは、才能がないのでは、と不安になる保護者は少なくありません。

    森下さんは「先に決めないで」といいます。

    「続ければ必ずできるようになる。なにより、私がそうでしたから。10年、20年やっていれば力もつくし、心も育ちます。最初からこの子には無理と思いながら育てるのと、いつか絶対できるようにになる、と思って育てるのとでは結果が大きく違うでしょう? ですから、できないでメソメソしている子がいると、絶対できるようになるから、やってごらんなさいと、気にかけてあげます。すると、安心して、それが励みになる。信じることが大事なのです」

    時間のかかるお仕事ですね、というと、にっこりほほ笑んで、こんな答えが返ってきました。

    「ええ。でも心が育つのに時間がかかるのは当たり前ですから。私自身も、いまだに団員からたくさんのことを、日々、学んでいます。バレエも同じ。今日より明日、あそこをこうしよう、ここをこうしてみようと、完成することがありません」

    画像: トゥシューズの裏には「MORISHITA」のサインが。身長150cmに対して24.5cmの大きな足は世界で勝負する武器に

    トゥシューズの裏には「MORISHITA」のサインが。身長150cmに対して24.5cmの大きな足は世界で勝負する武器に

    やめたいと思ったことが一度もないのです

    12歳で上京。“好き” の力が動かした全力投球の半生

    広島市で3歳からバレエを習いはじめた森下さんは、小学1年生のときに東京から来たバレエ団の生徒の公演を見て、「自分もあそこに立ちたい!」と熱望します。

    その年、両親を説得して上京。数日間、レッスンを受け、その後は長期休みに毎年、上京し、6年生になるとついに東京のバレエ学校に住み込みでバレエ中心の生活を始めます。

    「普通のサラリーマン家庭ですから、家計も大変だったでしょう。なにより、あの時代に、女の子をひとり、夜行列車に乗せて東京に出した親は、本当に勇気があったなあと思いますね。食堂車に乗せてもらい、車掌さんに『この子をよろしく』と頼んでいました。親は、私の、バレエが好き、という情熱に、根負けしたんでしょうね」

    画像: 初舞台の森下さん、12歳。レッスン代や東京への旅費を捻出するために、母親は広島で洋食屋「きっちんもりした」を開業

    初舞台の森下さん、12歳。レッスン代や東京への旅費を捻出するために、母親は広島で洋食屋「きっちんもりした」を開業

    トゥシューズはぼろぼろになるまで履きつぶし、衣装は手縫い。高校生になると、ほかのレッスン生の衣装の縫製を引き受け、毎晩、お針子をして、レッスン料や生活費の足しにしました。

    はたして、正確で美しい踊りと豊かな表現力で、瞬く間に頭角を現し、26歳で日本人初のヴァルナ国際バレエコンクールで金メダルを受賞。

    モナコ公国のバレエ留学を経て、アメリカン・バレエ・シアターに招かれ、国際的なプリマとしてデビュー。その後、松山バレエ団を拠点にしながらたびたび海外の舞台に出演し、日本のバレエ界を一気に世界レベルに引き上げる役目を果たしました。

    ’84年には、日本人で初めてパリオペラ座の舞台に立ち、’85年、舞台芸術の世界で最も栄誉のある賞のひとつ、イギリスのローレンス・オリヴィエ賞を受賞。

    故グレース王妃も森下さんのファンであったことが知られています。

    画像: いつも見守ってくださったモナコ公国・グレース妃と。1975年、文化庁芸術家在外研修員としてモナコに滞在

    いつも見守ってくださったモナコ公国・グレース妃と。1975年、文化庁芸術家在外研修員としてモナコに滞在

    画像: 1974年、ヴァルナ国際バレエコンクール金賞「白鳥の湖」より黒鳥のパ・ド・ドゥ。清水哲太郎さんと

    1974年、ヴァルナ国際バレエコンクール金賞「白鳥の湖」より黒鳥のパ・ド・ドゥ。清水哲太郎さんと

    画像: 敬愛するマーゴ・フォンティーン(右)と

    敬愛するマーゴ・フォンティーン(右)と

    画像: 1984年、ヌレエフとカラカラ浴場の舞台で稽古中

    1984年、ヌレエフとカラカラ浴場の舞台で稽古中

    いまも、一日5~6時間の稽古を欠かしません。華やかな経歴の狭間で、期待やプレッシャーがつらかったり、練習をやめたいと思ったりしたことはなかったのでしょうか?

    「一度もないの。3歳から、好きなことを続けているだけ。したいことを当たり前のように続けられる人生は、感謝しかありません。よくストイックな人と思われがちですが、公演が終わればビールも飲みますし、ディスコへも行きました。オンとオフ? ええ、切り替えは、うまいほうかもしれませんね。でも、頭の隅では24時間ずっと、作品のことを考えています」

    「何かを犠牲にした」と思ったこともない、ときっぱり。

    「だって、続けたいことがあるって幸せなことでしょう?」

    なるほど、徐々にわかってきました。どうやら森下さんはスーパーポジティブな思考の持ち主のようです。小学校時代の同級生からも、しばしばこういわれるとか。

    「洋子ちゃんは、いい意味で普通だよね。だから気兼ねなくつきあえる。そして昔から変わらず、すごいポジティブだよね」

    さて、その楽天家のルーツとは。

    画像: 「私は、けっして器用じゃないし、ストイックでもないのよ」と森下さん。終始、朗らかな笑顔を絶やさず、相手を緊張させない。偉ぶらず、だれに対しても変わらぬフラットな姿勢で向き合う

    「私は、けっして器用じゃないし、ストイックでもないのよ」と森下さん。終始、朗らかな笑顔を絶やさず、相手を緊張させない。偉ぶらず、だれに対しても変わらぬフラットな姿勢で向き合う



    〈撮影/本間 寛 取材・文/大平一枝〉

    森下洋子(もりした・ようこ)

    1948年、広島市生まれ。3歳からバレエを始め、日本人初の国際的なプリマ・バレリーナに。舞台芸術で最も権威のある英国ローレンス・オリヴィエ賞を日本人で初受賞。夫は舞踊家、演出・振付家の清水哲太郎。祖母、母ともに被爆者であり平和への希求は強い。8月22日、東京・ラインキューブ渋谷にて、新「白鳥の湖」スペシャルハイライトを上演予定(問い合わせ:03-3408-7939)。

    大平一枝(おおだいら・かずえ)/取材・文

    文筆家。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・失われつつあること、価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)など。『東京の台所2』(朝日新聞デジタル「&w」)連載中。
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    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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