• 26歳で、日本人初の国際バレエコンクールで金メダルを受賞。以来、世界を舞台に、屈指のプリマ・バレリーナとして活躍。いまなお観客を魅了しつづける、森下さんの創造の原点を伺います。
    写真について:自身が団長を務める松山バレエ団・本部の稽古場「Museion(ムーセイオン)」にて。ハナエモリのショールを羽織り、柔らかな笑顔をカメラに向ける。「クーラーを止めているので、暑くてごめんなさいね」と細やかな周囲への気配りも
    (『天然生活』2016年9月号掲載)

    平和への祈り、生きる歓び。私が踊りつづける理由

    たくましく、朗らか。忘れられない祖母の思い出

    おばあさまとお母さまは、広島市で原爆を経験しています。

    その3年後に生まれた森下さんは、祖母のやけどに息をのむ小学校の同級生の表情を、いまでも鮮明に覚えています。

    「ところが祖母は平気でお風呂屋さんにも行くんですよね。私はふだんから見ていたので、そういうものだと気にしていませんでしたが、一緒に行ったお友達は目を見開いていましたね。とにかく明るくて前向き。その姿を見て、子ども心に、なんて強くてたくましい女性なんだろうと思いました。命に感謝して前向きに生きている。その強さに学んだことは、計り知れないです」

    おばあさまは、左半身が不自由でしたが、明るく楽しそうに家事を何でもこなしました。

    里いもの煮ものやきんぴらなど料理はどれも抜群においしく、森下さんも自然と料理好きに。また、亡くなるまで、アメリカや原爆に対する愚痴や文句をついぞ口にしなかったそう。

    原爆で左手の指が膠着したため、一度、指を離す切開手術を受けたものの、親指しかうまく機能しませんでした。その指を孫に見せながら「まだここが使えるよ」と笑って話す祖母に、森下さんは心を打たれました。

    「ほら、洗濯板ならこうやって親指だけでも洗えるよって。自分が大人になって、ますます、あの強さがいかにすごいことだったのかを実感します。祖母から、人生は一度しかないのだから、文句をいったり、くよくよしたり、だれかを恨むより、アクティブに前向きに生きるほうが、ずっといいということを学びました」

    日々、稽古に汗を流し、時には悩み、戸惑うバレリーナの卵たちを励まし、温かく見守りつづける森下さんの根底には、できないことではなく、できることを数えて暮らす幸せの意味を、みずからの体で示した祖母の無言の教えがあったのでした。

    画像: 16年前、森英恵さんから「一枚持っているといいんじゃない?」と勧められたシルクシフォンのショール。手刺しゅうのハンドメイド。「肌触りと色合いが、とくに好きです」

    16年前、森英恵さんから「一枚持っているといいんじゃない?」と勧められたシルクシフォンのショール。手刺しゅうのハンドメイド。「肌触りと色合いが、とくに好きです」

    画像: 30年以上、愛用している香水のジョイパルファム。舞台衣装にほんの少し香らせる。ジャスミンとローズの気品あふれる香り

    30年以上、愛用している香水のジョイパルファム。舞台衣装にほんの少し香らせる。ジャスミンとローズの気品あふれる香り

    絶対に忘れてはいけないこと、伝えるべきこと

    「きみは何のために踊っているの?」

    松山バレエ団は、創立者の清水正夫さんと松山樹子さんが、虐げられた農民が未来を切りひらいていく話に感銘を受け、中国の古い民話「白毛女(はくもうじょ)」を、1955年、世界で初めてバレエ化しました。

    「まだ日中の国交正常化前に、この作品を持って訪中しました。裏では大変な苦労があったと思います。以来、17回にわたる訪中公演を行っており、私自身の転機となる作品のひとつとなっています」

    まだ結婚前のこと。初めて一緒に踊った清水哲太郎さんが、ぼそっとつぶやきました。

    「きみは何のために踊っているの?」

    森下さんは答えに詰まりました。

    「それまで、ただただ好きで楽しく踊ってきましたが、“好きだから” というのは何か違うな、と思ったのです」

    自分がバレエを続ける意味とは何だろう。

    「私は広島の出身です。世界のどこに行っても、ヒロシマの名を知らない人はいませんでした。そんな自分に与えられた使命は、平和の象徴として、生きる歓びをバレエで表現すること。平和への祈りと、人々に勇気や希望を届け、魂の奥底にある、温かなものを伝えることではないかと。そして、広島で祖母が体験したことは絶対に忘れてはいけないし、次世代に伝えていかねば、と思っています」

    「祖母、両親、清水、マーゴやヌレエフ、たくさんのめぐり合った人たち。つくづく、私には人生を教えてくれるすごい教師がたくさんいて、幸せ者ですね」

    互いを思いやる心、愛する心、ロマンを求める心は、文化や芸術によって成長します。

    「だから文化は、とても大切なのです」

    どんなに広いホールでも森下さんの笑顔は3階席の後ろまで届く、とバレエファンの間では語り継がれています。その笑顔の強さは、技術や経験による表層的なものではなく、心の奥底から平和への祈りや、生命の喜び、ロマンを届けたいという強い気持ちから生まれています。

    だからこそ、だれの目にもまぶしく美しく映り、喝采が鳴りやまないのでしょう。



    〈撮影/本間 寛 取材・文/大平一枝〉

    森下洋子(もりした・ようこ)

    1948年、広島市生まれ。3歳からバレエを始め、日本人初の国際的なプリマ・バレリーナに。舞台芸術で最も権威のある英国ローレンス・オリヴィエ賞を日本人で初受賞。夫は舞踊家、演出・振付家の清水哲太郎。祖母、母ともに被爆者であり平和への希求は強い。8月22日、東京・ラインキューブ渋谷にて、新「白鳥の湖」スペシャルハイライトを上演予定(問い合わせ:03-3408-7939)。

    大平一枝(おおだいら・かずえ)/取材・文

    文筆家。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・失われつつあること、価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)など。『東京の台所2』(朝日新聞デジタル「&w」)連載中。
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    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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