「水(スイ)と木(モク)」
我が家に二匹の猫がやって来て約一年になる。
名前は水(スイ・雌)と木(モク・雄)。
![画像1: 「水(スイ)と木(モク)」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783328/rc/2020/11/02/a77db18ceec34a5000f7728e059f626e90421e04.jpg)
名前の由来は、子猫を保護した友人から連絡があったのが水曜日、迎えに行ったのが木曜日だったから。
音の響きもいいし、水と木という漢字も好きな文字だ。
ちなみに他の二匹の姉妹も友人たちに引き取られ、それぞれ日(ニチ)と月(ツキ)と名付けられた。
保護されたときは生後一か月になるかどうかの、フワフワと軽い小さな毛玉のようだった子たちも、無事スクスクと成長して今では元気に過ごしている。
猫親戚の友人たちとは、集まればやれあんなことがあっただの、こんなことがあっただの、携帯におさめた写真を見せ合いながら猫の話題で持ちきりになる。
みんなしてデレデレ顔になるのがなんとも微笑ましい。
スイとモクは人見知りをしない。
おそらく兄弟以外の猫よりも、生まれてからこのかた、人間に会っていることの方が多いからかもしれない。
![画像2: 「水(スイ)と木(モク)」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783328/rc/2020/11/02/fc6a8ddf5a29618c78e45c948aafa0d85c9de225.jpg)
郵便屋さんや荷物の配達の方が来るたびに「どなたですか~?」と言わんばかりに玄関に様子を見に行く。
我が家に客人が来れば尚のこと、スリスリと近寄って「あなたは遊んでくれるの?」「何かおいしいものくれるの?」「膝にのせてよ」といった具合に彼、彼女なりの歓迎の意を表しているのか、飼い主そっちのけで甘えまくるのである。
嬉しいけれど、内心ちょっと寂しくもある飼い主の複雑な心境なのだ。
二匹はよく喋るように鳴いている。
特にスイは自分のことを人間と思っている節がある。
「ニャムニャムニャム、ニャ?ニャ?」
![画像3: 「水(スイ)と木(モク)」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783328/rc/2020/11/02/4829fa748fdcb6535fe8b054514865d9bf696a42.jpg)
何かを一生懸命訴えているようなのだが申し訳ないのだけれど、わかってあげられずもどかしい。
私も私でスイとモクには人を相手にするように普通に話しかけている。
お互い「ごはん」だけは通じ合っているようだけれど。言語の壁がなくなる日はやってくるのだろうか。
私たち夫婦だけの暮らしは、スイとモクがやって来たお陰でガラリと変わった。
レディーファーストならぬ、キャットファースト。
人間都合の日もあるけれど、それでも気持ちの上では小さきものたちを優先している。
![画像4: 「水(スイ)と木(モク)」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783328/rc/2020/11/02/99874ffb7ed95add4301b01261237093fbe134d9.jpg)
子どもがいない我が家に縁あってやって来てくれた二匹は宝もののような家族。
時には困ったイタズラもしてやれやれと思いつつ、つい笑ってしまう。
そんな風に毎日かわいいと思える存在とはなんと最強なのだろう。
子育てには到底及ばないけれど、猫育て。
いや、日々学ばせてもらっていることを思うと、育ててもらっているのは私たち人間の方なのかもしれない。
「よく食べ、よく遊び、よく眠る」どれも出し惜しみなどなく目一杯。
スイ、モク、これからもよろしくね。
![画像5: 「水(スイ)と木(モク)」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783328/rc/2020/11/02/f61c340223c2b8b4e6dd4ee0b0c24ff7a1c7e1fc.jpg)
長谷川ちえ(はせがわ・ちえ)
エッセイスト、福島県三春町にある器と生活雑貨の店「in-kyo」店主。夫と猫2匹と一軒家暮らし。12月4日より、漆作家の宮下智吉さんの個展を開催予定。
Instagram:miharuno.inkyo