(『天然生活』2016年2月号掲載)
コーヒーの香りで始まる朝
夫婦でのんびり朝の時間を過ごせる日は、いつものコーヒーも格別。おのずと食も進んで会話も弾みます。
ポットから注がれたお湯が豆をぷっくり膨らませると、ふくよかな香りがふわりと拡散。徳島市の「アアルトコーヒー」店主・庄野雄治さんの朝は、焙煎したての豆の味見がてら、コーヒーをドリップすることから始まります。
2人分を抽出できたら、リビングの丸テーブルで、妻の悦子さんとパンプレートの朝食。子どもたちはすでに登校して、家の空気は穏やか。カップから立ち上る湯気に、ほっとくつろげるひと時です。
「こういう時間は、実は週に1~2度。ふだんは早起きしてササッと朝ごはんを済ませ、下で焙煎を始めるんですけどね」
照れ笑いする庄野さんについて階下へ向かうと、店名の由来ともなった、焙煎機の “アアルト君” が鎮座していました。この日の焙煎を行いながら、庄野さんの口から語られたのは意外な言葉。
「以前は旅行代理店に勤めていたけど、惰性で過ごす日々でした。娘の誕生を機に、楽しく生きる姿を見せたくて、コーヒーロースターの道を選んだんです。でも、最初の2年は全然うまくいかなくて。開業時からのお客さんにも、『最初はあんまりおいしくなかったよね』っていわれます(笑)」
なかでも印象に残ったのは、「コーヒーは、“まあまあ好き” くらいの思い入れだったけど、スランプの間も、一度もやめようとは思わなかった」ということ。
言葉を換えれば、自分をどこか客観視できたから、できるやり方でベストを尽くせるようがんばれた、ということでしょうか。
「僕にとってコーヒーは、自己表現ではなく、お客さんの満足のためのもの」
そのことに気づいてから、徐々に、いい焙煎ができるようになったそうです。
豆と向き合う焙煎の時間
毎日のベースにあるのは、焙煎の時間。相棒の焙煎機 “アアルト君” とともに、豆のおいしさを最大限に引き出します。
スペシャルな満足感より日常的に楽しめる一杯を
焙煎が終わって12時になると、お店のオープン。焙煎スペースに隣接するシンプルな空間です。テーブルの上に並ぶのは、ガラス瓶入りの豆のサンプルぐらい。
ブレンド2種、ストレート6種、すべて200gで税込み900円です。この値付けは、開業以来16年間、変わっていません。
「お客さんのほうが心配してくださるのですが、僕は、なるべくたくさんの人においしいコーヒーを楽しんでほしい。それには、ちょっとだけがんばれば飲みつづけられる価格にとどめておかないと」
世間的にはコーヒーのプレミアム化の流れが広まっていますが、庄野さんはむしろ、裾野を広げたいというのが本望。
「この価格でできる限りいいものを提供して、家族が食べていければいいかな」と飄々と語る姿が素敵です。
間もなく店にやってきたのは、近所の常連さん。徳島でも有数のマラソンランナーで、朝のランニングのあと、仕事前に飲む一杯が最高だそう。
「夕方や夜もね。一日に何度も飲みたくなるんよ」とほほ笑んで、いつもの「アルヴァーブレンド」を買っていきました。そんなお客さんを見送る庄野さんは、とてもうれしそう。
家でおいしいコーヒーを気軽に飲んでもらえることが、開業時から変わらない庄野さんの思いなのです。
週末には、全国各地のイベントに呼ばれることもしばしば。先日は、子どもたちが通う小学校のバザーに出店しました。
「和やかな雰囲気のなかで、親御さんたちに一杯200円でコーヒーを楽しんでもらえました」とほほ笑む庄野さん。
おいしいコーヒーの裾野は、着実に広がっているようです。
庄野さんの一日の時間割
〈撮影/伊東俊介 取材・文/高瀬由紀子〉
庄野雄治(しょうの・ゆうじ)
コーヒーロースター。「アアルトコーヒー」店主。著書に『誰もいない場所を探している』(ミルブックス)など。
http://aaltocoffee.com/