猫たちと暮らした古い家の思い出
昨年の冬、9年間暮らした家から引っ越した。
木造の一軒家は築50年にもなり、当然ながらいろんなところにガタが来ていた。
ネズミやゴキブリはもちろんいたし、冬は寒さのあまり帽子を被って寝た。
「暖かい家に越したいね」と、冬になるたびに繰り返すものの、それでもその古さや小さな庭と離れがたく、そのまま住み続けていた。
一年のなかでは、とくに春がよかった。
北の窓からは大家さんの、東の窓からは大家さんの親戚の庭が広々と見渡せる。
ソメイヨシノと八重桜がそれぞれ手を伸ばせば触れられるほど間近にあって、部屋の中から花見ができた。
いつも鳥たちがチュンチュンと集まって、公園のなかで暮らしているようだった。
南側は壁一面に大きな窓があり、この窓辺は猫たちのお気に入りだった。
庭の大きな木は通りからの目隠しになっていた。
初夏は枝葉がざわざわと繁り、秋は色づいた枯葉がハラハラと部屋の中にまで舞った。
冬には西日が差し込んで、眠る猫の上に木漏れ日が揺れた。
この大きな木は、植木さんに名前を聞いても「何だろうねえ、雑木だなあ」と、ついに何の木か、わからずじまいだった。
近所に保育園があり、家の前は散歩コースになっていた。
朝の決まった時間になると、園児たちが大きなカートでガラガラと引かれて家の前で止まる。
窓辺を見上げては、「にゃんにゃんちゃーん!」と口々に叫ぶ。
猫たちが窓辺にいないときは、園児と保育士さんたちの、「今日はにゃんにゃんちゃんがいないねえ」という声がしばらく聞こえる。
慌てて身を低くし、腕だけニョキっと伸ばして猫を窓辺に置くと、「にゃんにゃんちゃんいた」とかわいらしい声が聞こえた。
その古い家は、私たちが出てすぐに取り壊しが始まった。
隣の敷地と合わせて更地にし、低層マンションが立つらしい。
できたての猫の本をもって、お隣さんとお向かいさんへ挨拶に行った。
「へえ、あの猫さん(スンスンのこと)本になったの!」とよろこんでくれた。
お向かいさんは、私たちが引っ越したあと、「電気が消えた猫のいない窓辺を見るのがとても寂しかった」と言った。
見慣れた風景が変わってしまうのは、心細いことだろう。
引っ越しのバタバタと新しい家に慣れることに精一杯だった。
また遊びに来ると約束して別れた。
引っ越しはくたくたにくたびれたものの、生まれ変わるような清々しさもあった。
築浅の家は過ごしやすく快適だが、以前のように猫たちがくつろげる窓辺はない。
いつまでここで過ごすかはわからないが、猫用の簡単な見晴らし台を作ろうと思っている。
安彦幸枝
父のデザイン事務所でアシスタントを務めた後、写真家泊昭雄氏に師事。
著書に『庭猫スンスンと家猫くまの日日』(小学館)amazonで見る 、『どこへ行っても犬と猫(KADOKAWA)』amazonで見る ほか。