(『CALICOのインド手仕事布案内』より)
インド布という現象
太古の時代から、私たちを覆い守る外なる皮膜として、コミュニティの、あるいは、個人のアイデンティティと内なる精神を顕(あらわ)すメディアとして、ひとびとの生活の中でつくられ、受け継がれ、固有の歴史を伝えてきた手仕事布。布は、その時空をまたぐ伝播力によって、多くのひとびとの目を潤(うるお)し、今日の私たちもまたその恩恵に預かっている。
そうした布の文化の多くが、産業革命やライフスタイルの変化とともに、世界の各地で急速に失われ、風前の灯の状態のままわずかに生きながらえている状況となってから久しいが、そんななかでも、インド亜大陸は、各地で古い伝統がただ漫然と残っているだけではなく、時代時代において、さまざまな文化が流入し、また、新しい手仕事の文化が今もなお生み興される稀有な場所となっている。
“インド布”は、直線的に理解される世界の歴史の狭間で、繰り返されてきた社会現象だ。その多くは、大陸に広く分布する普遍的なデザインや技術であり、インド固有のものと言いがたいものも多い。それゆえ、“インド布”は国の垣根を超えて、多くの人にとって懐かしく馴染む。
たとえば、バングラデシュの首都ダッカを起源とするジャムダニ(jamdani)*1 の生産地はインド東北部のマニプール州や、隣国のネパールにまで広く分布する。カシミールの織りや手描き更紗*2、アジュラックなどのブロックプリント(block print)*3 には、イランなどとの文化的つながりを見ることができる。
*1:ジャムダニ
薄い平織の地に、部分的に別の糸を細い針で緯糸に沿わせて織り入れる(縫取織する)ことで、模様を描きだした織物。古くからベンガル地方で織られ、ムガール帝国時代は上質な綿織物として宮廷に納められていた。
*2:手描き更紗
インドを起源とする木綿地に文様が染められた布全般を指す“更紗”の中でも、手描きで模様が描かれたもの。
*3:ブロックプリント
手彫りの版(ブロック)に染料をつけて布に押す捺染技法。版にはおもに木が使われる。
しかし、21世紀の現代まで、それらの手仕事が色褪せず、場合によってはさらに強化され、力強く残っている国は、インドを除いてあまりないのではないだろうか。
インドという土地は、古来より、布という物的・文化的資源によって、世界中のひとびとをその地に集めてきた。その様相は、時代の波によって少し変化しているが基本は変わらない。
インドでは、現在でも350万人以上の職人が織り仕事に従事し、その周辺では数人から、布や工程によっては、10人以上の人(おもに家族や近隣の人)が、その仕事を補助し、生計を立てているとされる。つまり、おおよそ3000万人から5000万人がいまだに織り仕事とそれに付随した仕事に従事していると考えられるのだ。その結果、今日では、インドが世界の手仕事布の95%以上を産出することとなっている。
なぜインドは手仕事大国になったのか
そして、インドの布はその時代時代によって、以下のように、さまざまな象徴性を帯びた呼ばれ方をしてきた。
・風を織った布
・モスリン
・アンディエンヌ
・チンツ
・キャリコ
・カディ
などだ。
なぜインドは、かくも特異な手仕事布大国となったのか。その背景のひとつが、インド大陸がコットンの原産地のひとつであり、紀元前より綿布生産を産業としてきたということだ。
正確には、現代のインドではなく、インド大陸の西端、現代のパキスタンのインダス川流域で、紀元前3000年以上前に興ったとされるインダス文明のモヘンジョダロ遺跡で見つかった茜染めの布片が、世界最古の綿布としての証跡とされる。
ギリシア文明の時代には、歴史家のヘロドトスが「インドには羊のなる木がある」(『歴史』第3巻)と記し、ギリシア人がそれを目的にインドまで到達してきた様子が描かれている。
インドが手仕事布大国になった理由としては、古くより、ひとびとの往来や交易の拠点を有し、輸出志向の産業として織物産業を育ててきたことも大きいと考えられる。ギリシア・ローマ時代にも、綿布を求めて多くのひとがインドに赴き、ローマでは、インド製の綿布は“風を織った衣”とされ、もてはやされた。
そのおかげで、インドにローマの貨幣が流入し、インフラが整い、国の輪郭ができたと考えられている。
交易が盛んとなった紀元前2世紀以降のいわゆるシルクロード時代には、綿布の基盤を活用し、中国から輸入した絹糸を使って絹布が生産されていた。
エジプトのフォスタット遺跡から出土したアジュラック染め布や、シュリーヴィジャヤ王国(インドネシアのスマトラ島東部を中心に栄えた海上交易国家)向けに制作したとされるイカット(絣)やジャムダニ(花布)などにもその痕跡を見ることができる。
時を経て、モンゴル帝国の拡大やムガール帝国時代を経てペルシアやその流れをくむ職人集団がインド大陸に入ってきたことも、インドの布そのものの装飾的価値、文化的価値を高めるのに貢献したと考えられる。とりわけ、ペルシアとムスリムの影響を強く受け育まれた、植物や花を図像化した繊細な更紗文様は、贅沢な刺繍や織物、手描き更紗として為政者に献上され、華奢贅沢な贈答品や嗜好品として、国内外で人気を博すようになる。
やがて、大量生産ができるように技術が進歩し、ブロックプリントやスクリーンプリント*4 でも更紗が生みだされるようになった。今日では、更紗はインド布の代名詞のようになり、今もインド大陸各地で銘々に美しく咲き誇っている。
*4:スクリーンプリント
スクリーン(型)を使って染料糊を生地に乗せる捺染技法。
本記事は『CALICOのインド手仕事布案内』(小学館)からの抜粋です
〈文/小林史恵 写真/在本彌生〉
小林史恵(こばやし・ふみえ)
大阪生まれ、奈良育ち。キヤリコ合同会社(日本)/CALICO SANTOME INDIA LLC(インド) 代表・デザイナー。2012年、デリーを拠点に、インドの手仕事布をデザインし、伝える活動、CALICO:the ART of INDIAN VILLAGE FABRICSを始動。日本では企画展や取扱店を通じてCALICOファンを増やし続けている。近年はインド手仕事布のエキスパートとして、ブランドの活動以外でも国内のイベントや展覧会の企画に関わる機会も増えている。2021年3月、奈良公園内に日本の拠点となるギャラリー・ショップ「CALICO : the Bhavan」(キヤリコ:ザ・バワン」をオープン。
instagram:@fumie_calico
CALICO : the Bhavan
月曜定休 10-17時
〒630-8211 奈良市雑司町491-5
電話:0742-87-1513
メール:calicoindiajp@gmail.com
www.calicoindia.jp/
在本彌生(ありもと・やよい)
東京生まれ。フォトグラファー。外資系航空会社で乗務員として勤務するなかで写真と出会い、2003年に初個展「綯い交ぜ」開催。2006年にフリーランスフォトグラファーとして本格的に活動を開始。世界各地であるがままのものや人のうちに潜む美しさを浮き彫りにする“旅する写真家”として知られ、雑誌や書籍・ファッション・広告など幅広いジャンルで活躍している。著書に写真集「MAGICAL TRANSIT DAYS」(アートビートパブリッシャーズ)、「わたしの獣たち」(青幻舎)、「熊を彫る人」(小学館)などがある。
instagram:@yoyomarch
CALICO:the ART of INDIAN VILLAGE FABRICSを主宰し、インドの手仕事布の現状を最もよく知る日本人のひとりでもある小林史恵さんが、インドでの仕事を通じて経験したこと、布探しの旅のなかで見聞きしたさまざまな“手仕事布の世界” を案内します。
さらに“旅する写真家” としても知られる在本彌生さんの、色彩豊かで生命力あふれる写真の数々も必見です。
産地や作り手の紹介にとどまらず、布づくりの背景にある思想や哲学を知ることができる本書。インドの手仕事布の“今”がわかる貴重なドキュメントでもあり、布を知るごとに実物にふれてみたくなる、布好きにはたまらない一冊です。