幸せについてシンプルに考えた先の「特別養子縁組」
セキさんにお話を聞いていると、どんなことに対してもやってみたいこと、興味のあることに恐れや躊躇はなく、自分の“好き”という気持ちを真ん中に大切にたずさえて、軽やかに行動している印象があります。それはもう、聞いている私に自然と勇気が湧いてくるぐらい、ふわりと身軽に。
特別養子縁組についても、「すごい決断をされたんですよね」とやや熱を帯びて聞く私に、少し不思議そうな顔をされたのが印象的でした。
それは、特別養子縁組がご自身の幸せと、周りの幸せをシンプルに考えた先に到達した、ただひとつの道だと静かに確信されていたからだと思うのです。
子どもを育てたいという望みを叶えるには自分で産む、もしなかなか妊娠しないならば妊活を、それでも難しい場合は不妊治療、と考えるのが、現在の日本では一般的のように思います。
セキさんも不妊治療(顕微受精)の経験があります。でも、治療で妊娠が見込めないから、という理由で特別養子縁組を選んだわけではありませんでした。
「私は子育てしたいけど、他方では子に恵まれたけど育てられない人がいる。それなら私が育てれば、私も子も、産んだかたも幸せですよね」(『天然生活』2021年9月号より)
そのとおりだなあとセキさんの話を聞いて何度もうなずく自分がいる一方、もし自分だったら、果たしてそんなふうに軽やかに考えられるだろうか。そんな思いも同時に浮かんできました。
実際、特別養子縁組に関しては、血縁という点で悩まれる方が多いのも事実です。
未知ゆえに押し寄せてくる不安や恐れの波にのまれて、小さな幸せの種を見逃してしまう……。どうしても凝り固まってしまう自分の思考のスイッチを、パチっと変えられるその柔軟性は、一体どこにあるのだろう?
その秘密を知りたくて伺うと、少し悩んだあとセキさんご自身の幼少期のお話をしてくださいました。
集団生活に悩めなかった幼少期
「結婚する前から、里親や養子縁組について興味があって、そういった本をよく読んでいたということもあるかもしれません。そしてそれは、たぶん私自身がマイノリティだという自覚があったからなんですよ。
幼稚園から小学校3年生ぐらいまで、学校や園になじめなくて。集団生活がどうにも苦手で、みんなの輪に入っていけない。だから幼稚園も学校も全然楽しくないし、もう登校拒否するぐらいで。小学校2年生のときは、クラスの男子たちにいじめられましたしね。
でも、小学校4年生の時に、これまで住んでいた町から、同じ県内の少し田舎の方に引っ越したら、ガラッと変わったんです。もともと転校生が多いという土地柄もあってか先生も、クラスの友達も、転校してきた私のことを気にかけてくれて、一緒に遊ぼうと盛んに声をかけにきてくれる。みんなと仲良くしよう、という環境がもともとしっかりあった学校でした。いまでもその先生や友達には感謝しているぐらい、初めて学校が楽しいと思えました」
嫌だ嫌だと思っていた集団生活が、周りの人たちが変わっただけでいっぺんした経験は、きっと少女に大きな驚きと感動を与えたことでしょう。
引っ越しという一つのきっかけで、セキさんの人生が彩り始めました。
とはいえそれでも、「社会に、なじめきれていない、という気持ちは自分のなかにはずーっとありました」とセキさんは続けます。
自分の居場所が見つかった
小さな違和感と居心地の悪さを抱えつつも、今見ているこの世界と折り合いをつけながら成長したセキさんに、もう一つの転機が訪れます。
それは、進学した短大の幼児教育学科を卒業後、就職しながら通った、多摩美術大学の夜間コース(社会人も多く学ぶ場)でした。
「もともと美術系の学校に進学したかったのですが、父親の反対にあいまして。それで、卒業して就職後に通い始めたのですが、ここは天国なんじゃないか!? と思うぐらい、学校生活がしっくりきたんです。こんな経験は初めてでした。自分の好きな世界にどっぷりと浸かれて、好きなことを学べて、さらにはそれを自分で表現できて。自分の好きなことで評価してもらえるということは本当に幸せなこと。
これまで生きてきたなかで初めて、自分の居場所だと確信しました。こんな世界が私にもあるんだと思ったら、以前の私のように社会からはじかれているように感じている人たちにも絶対そういう世界があるはずだし、その世界をぜひ見つけてほしい。恩返しじゃないけれど、そういう方々のバックアップをしていきたい、と思うようになったんです」
その想いは、例えば、障がい者の方と一緒にものづくりするなど徐々に実際の行動になって表れていきました。
すべては、自分もマイノリティだから、という自覚から。
そうしてその先に、「特別養子縁組」というとても“幸せな”選択を見つけたのでした。それはセキさんにとっては、とても自然な流れだったのかもしれません。
「自分も周りも、みんなが幸せになる」
その確信が間違いではなかったことは、セキさんの家族をひとめ見れば、誰しもが納得するはずです。
今日もきっとリビングで、テラスで、いつものたわいもない、でもとても幸福な会話が繰り返されていることでしょう。
〈撮影/前田景〉
遊馬里江(ゆうま・りえ)
編集者・ライター。東京の制作会社・出版社にて、料理や手芸ほか、生活まわりの書籍編集を経て、2013年より北海道・札幌へ。2児の子育てを楽しみつつ悩みつつ、フリーランスの編集・ライターとして活動中。