都立浅草高等学校、国語教師、神林桂一さんが綴った、「観光客の知らない浅草」。食べ歩き、飲み歩きを趣味とし、自身の偏愛店を「ミニコミ」で発行していた神林先生のことをご紹介します。
(『神林先生の浅草案内(未完)』より)
「観光客の知らない浅草」を教えてくれる、神林先生とは?
都立浅草高等学校、国語教師の神林桂一さんは、教員生活43年。食べ歩き、飲み歩き歴46年。生徒からの呼び名は「かんちゃん」。浅草観音裏界隈では、ちょっと名前の知られた存在です。
その理由は、神林先生が手製していた「ミニコミ」にあります。
「ミニコミ」とは、「浅草にいる間に行くべき店 決定版!」「浅草周辺ご飯物ランキング」「浅草周辺肉類ランキング」といったテーマを掲げ、そのテーマに沿った神林先生の推薦店を連ねたわら半紙のペラ1枚のランキング表です。ランキングといっても載っているのは偏愛店ばかりです。
神林先生が通っていた浅草高校は、定時制高校の統廃合でできたところで、朝、昼、夜と三部制で授業を行っています。だから教員の数が多く、若い先生がたくさんいます。
若い先生たちが飲みに行くのはチェーン店ばかりなのを見て、「せっかくいい個人店が多い浅草にいながら、もったいない!」と、独断で推薦店のランキング表をつくったことがきっかけでした。
当初は、「教務部福利厚生係」として、職場で配布するだけでしたが、徐々に行きつけの店にも配るようになり、客たちの間で「これは誰がつくったものなの?」と話題になっていきました。
なにせ、実際に足を運ばないとわからないような細かな情報や、地元民でも知らないようなニッチなラインナップが載っているのですから。
飲んで、食べて、これからますます精力的に情報発信も、と意気込んでいた矢先の2020年8月、神林先生は急逝されてしまいます。
更新されることのない途中経過の記録が、1冊の本に
先生が発信してきた「ミニコミ」の一部、「浅草ランチ・ベスト100」編と「ひとり飲みの店ランキング」編は、1冊の本にまとめられました。
ランチ編「浅草ランチ・ベスト100」は、3枚綴りに100店を選出したもので、神林先生が愛車にまたがり、浅草の隅々までランチを食べ歩いた708軒より選び抜いた26軒を紹介。
ひとり飲み編「ひとり飲みの店ベスト」は、浅草エリアで訪ねた店の数1255軒より、ミニコミで挙げたとっておきの「ひとり飲みの店」からさらに選り抜いた11軒を紹介しています。
本の中で、神林先生はこんな風に書いています。
僕は、飲み歩き、食べ歩きをするとき一人が多いのは、店の人や居合わせたお客さんと話したり、日常だけど日常じゃない時間が過ごせるから。それは僕にとって、最高の人生の学び舎なんです。
タイトルに「(未完)」と付いているのは、精力的に発信し続けた「ミニコミ」の、あくまで途中経過のものだから。これは、神林先生からの店へのラブレターであり、浅草の食文化が垣間見られる教科書の一遍であり、観光客の知らない浅草を知る案内でもあります。
1章ずつが歴史や食文化に触れてあって単なる店紹介に尽きず、まるで授業の内容のようです。
偏愛店37店がまとめられた本を読めば、神林先生が愛した浅草にどっぷり浸かれます。
〈撮影/大沼ショージ、萬田康文(カワウソ)〉
神林 桂一(かんばやし・けいいち)
1954年5月26日生まれ。東京都出身。教員生活43年。食べ歩き、飲み歩き歴46年。都立一橋高校時代から食のランキング・ミニコミを刊行(おもに職場で配布)。下町エリアを中心に酒場、定食屋、バー、和・洋・中・エスニック料理店、その他と守備範囲は広範囲に及ぶ。なかでも“お母さん酒場”には並々ならぬ情熱を持つ。食にまつわる書籍、雑誌、テレビ番組、ランキングサイトなど、リサーチにも余念がなく、自作のデータベースには行った店・約9200軒を含む1万5000軒の食の店や食の情報が整理されている。2020年8月24日逝去。
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著者の神林桂一さんは、職場の若い先生や同僚たちに、浅草の深き食文化を知ってもらうべく、愛機のワープロ「文豪」のキーボードを叩き、わら半紙に刷り出した『ミニコミ』を発行。「ランキング」と謳ってはいるものの、載っているのは偏愛店ばかり。どの店も違って、どの店もいい。この本は、37号にわたって発行した『ミニコミ』より「浅草ランチ・ベスト100」「ひとり飲みの店ランキング」を元に、神林先生が足繁く通った店を紹介しています。
これからますます意欲的に飲んで、食べて、さらには情報発信を、と意気込んでいた矢先、神林先生は突然、この世を去りました。『神林先生の浅草案内(未完)』は、更新されることのない途中経過の記録であり、店へのラブレターであり、浅草の食文化が垣間見られる教科書の一遍であり、観光客の知らない浅草を知る案内でもあります。神林先生の愛した浅草に足を運んでもらえたら幸いです。