ごはんは土鍋で炊く派です
わが家、ごはんは毎日、土鍋で炊いています。炊飯器を持っていないんです。結婚したとき買いはしたけど、すぐに使わなくなってしまった。土鍋を買ったからです。
土鍋で炊くほうが楽しかった。焦がしても、それはお焦げとして食べられる。それに時短、炊き上がるのに時間がかからなかった。私が買った炊飯器の半分くらいでした。
ほどなくマンションから町家にお引越し。台所は土間、流しは人研ぎ(人造石の研ぎ出しの略)。コンロは業務用の鉄製を置きました。
たぶんこの説明では、いまの若い方にはほとんどビジュアル伝わらないですよね。昭和初期につくられた台所でしたから。その台所には炊飯器は似合わない。冷蔵庫も納戸に隠していました。
土鍋との出会い
1997年に開店した、銀閣寺畔の「草喰なかひがし」。草(野草や山や川の恵み)を懐石料理のように仕立て上げる、土鍋でごはんを炊く、このふたつでたちまち、京都でいちばん予約が取れにくいお店の一つになった割烹です。
私は食通ではないのですが、ここだけはよく行くようになりました。その頃は予約もむずかしくなく、ご主人と会話ができる雰囲気もありました。いろいろ質問していたような気がします。
ここでは伏せますが、お米の産地も訊きました。でもいちばん大事なのは精米日。お店に精米機があり、毎日、使う分だけ、精米するとおっしゃっていましたね。当時の私には目から鱗…でした。
ごはん炊きの土鍋はよく見かけますが、なかひがしさんのそれは、羽釜の形をしているんです。それがカッコよくてね。どこで買えますか、とか何とか訊いたんだと思います。
私が町家に越したことを伝えると、なんとそのお祝いに、羽釜を届けてくださった。彦根の一志郎窯のものでした。
羽釜で炊く時に失敗しない、ちょっとしたコツ
それまでの土鍋と違い、内蓋もありません。少し水を多めにというアドバイスに従い、適当に多めで炊いてみました。なるほど。沸騰すると、湯気だけでなく、お湯も蓋の上にぶくぶくと上がってくるのですね。これは楽しい。土間の台所は冬、寒いですから、湯気が吹き抜けの天井を上っていくのが見える。生きているみたいだ、湯気もごちそうだ、と当時の私は喜んでいた(若かったんですね。今はできないです)。と、話が逸れました。
沸騰したら、すぐに火を弱めます(夏は止める)。それでも土鍋は熱を保ったままですから、ぶくぶくといい続けます。それが弱くなったら火を止める。そして蒸らします。私の場合は5分くらい。
蓋を開けると、蟹穴が。よしよし。つやつやで、お粥のように見えたりするけど、いえ、お米はアルデンテ。私はですけど、完全に蒸れて、土鍋にきちきちに詰まった状態より、すき間がある炊き上がりが好きなんです。まずは煮えばなをいただく。これがおいしい2杯目をつぐころには蒸れてふっくら。以来、羽釜オンリーです。
食べられないような失敗はしたことがありません。お焦げもおいしい。具材が入っているときは、湯気の上がり方が違うので、蓋を開けて、目で確認したりします。水を足したりもします。そんな神経質なものではない。ロンドン時代も炊飯器なし。鉄鍋のストウブを使っていました。充分おいしく炊けてましよ。
水の分量、私は1.6〜1.7倍くらい。一志郎窯の説明書には確か2倍と書いてありました。その代わり、沸騰しても火は弱めない。私はすぐに弱火にしてしまうので。火加減との兼ね合いですね。
お米のこだわりですか? 京都にいたころから、近江のお米を贔屓にしています。品種は「コシヒカリ」や「みずかがみ」。近江は関西の米どころなんですよ。
そして精米日。スーパーではまず精米日を見て購入。1週間も経っているものしかない場合は、道の駅の米売場まで行って、玄米を購入して、精米してもらっていまます。それをなるべく1週間以内で消費する。そんなところでしょうか。
土鍋、さすがに少しニュウ(ヒビ)が目立つようになりました。一志郎窯は彦根、私が住む滋賀県です。一昨年、オーダーをしに彦根まで行きました。数カ月待ちでした。
今回の羽釜も同じ三彩ですが、底が丸く改良されていました。直火を少しでも遠ざければ、遠赤外線効果は上がりますよね。気持ちも上がります。
羽釜は3合炊き。1合、2合用の土鍋も今回、買い足しました。お米の量と鍋が合っているほうが、沸騰の加減がつかみやすい。火加減がしやすいのです。
なんて、こんなことを書くと、料理好きに思われるのではないか心配です。全然、好きではありません。好きではないから、せめて好きなものを使いたい。楽しい時間にしたい。
好きではなくても、おいしいものを毎日、作るのが、私の仕事(家事)ですから。
いよいよ晩秋。稲刈りのすんだ湖北の田んぼには、落ち穂や二番穂狙い鷺が集まります。美しい日本の風景。そしてシベリアから北海道を経てコハクチョウが飛来。冬の田んぼでハクチョウが見られるようになります。
麻生 圭子(あそう・けいこ)
作詞家として数々のヒット曲を手掛けたのち、エッセイストに。京都町家暮らし、ロンドン生活を経て、現在は琵琶湖のほとりに住む。