(『人生後半、上手にくだる』より)
花が散った後まで、楽しみ尽くしたい
キラキラと輝いていた女優さんが、いつか映画のスクリーンやテレビの画面から姿を消す。雑誌の特集でよく見かけていた料理家さんや、スタイリストさんが、ふと気づくといなくなる。よく仕事を一緒にしていたライターやカメラマンの先輩が、 知らない間に実家に戻ったり、 廃業したりしている……。
そんな事実を知るたびに、小学生の頃に習った『平家物語』のあの一節がゴ~ンという鐘の音と共に浮かんできます。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衷の理をあらはす」。 沙羅双樹とは、シャラの木のことで、夏椿とも呼ばれるそう。 固い蕾が花開き、美しい姿を見せてくれるのはほんの一瞬で、必ず枯れ萎れていきます。
世の中には水遠というものはない。どんなに活躍しても、時が経てば必ず哀え、消えていく。そんな世の中の理が身に沁みるお年頃になってきました。
若い頃の私は「ああ、寂しいなあ。ああいう風にはなりたくないなあ」と思ったもの。そして、「どうしたら枯れないでいられるのかな?」「歳をとってもずっとキラキラしていられるには、どうしたらいいのかな?」とその方法を知りたくてたまりませんでした。
でも……。60歳を目前に控えた今、やっと想像ができるようになってきました。スクリーンから消えたあの人が、家族と一緒に穏やかな日々を過ごしているかもしれないなあ。雑誌から去ったこの人が、やっとゆっくりと1日を静かに味わっているのかもしれないなあと……。
きっと私は長年、「きれいに咲いている時期がいちばんいい」という価値観で生きてきたのだと思います。どうしたら「私」という花を美しく咲かせることができるだろう? と考えるのが楽しかったし、肥料や水をやり、よりよく咲くようにと育てることが、いちばんの関心事でした。
でも、第一線を退いた後に、孫たちに囲まれてご飯を食べる時問や、以前は忙しくてバタバタと過ごしていたのに、ひとりでじっくり1冊の本と向き合う時間は、今までとは違う喜びを教えてくれるのかもしれません。
美しく花を咲かせたその後に、いったいどんな「お楽しみ」がつながっているのだろう? 枯れて朽ちることでしか味わえない何かとは、いったい何なのだろう? それを知るためには、考え方や感じ方を、新たな世界に合わせて、ひとつ「ずらす」必要があります。今までと同じメモリでは測ることができない世界では、新たな「単位」を知らなくてはいけません。
北欧の家具、作家さんが作った器、上質な素材でいいパターンで作られた洋服……。よりよいものと過ごす日常は、生活のクオリティを上げてくれます。一方でヘンリー・デイヴィッド・ソローは、『孤独の愉しみ方 森の生活者ソローの叡智』(イースト・プレス)の中で「破れた服を着たって、何一つ失うものはない」と綴っています。
持たなくても幸せになれる。もっともっとと稼がなくても豊かに暮らすことができる。やりがいのある仕事をしていない時問も、楽しく過ごすことができる……。人生の後半に差し掛かった今は、物事の考え方を、今までとはまったく違う方向へ、舵を切るチャンスなのかも。
そのためにも、今まで正解と信じ込んできたあれこれを一旦手放し、新たなメガネにかけかえて世の中を見てみたい。そう思うようになりました。
「もっともっと」とより高い山を目指して、これまで登り続けてきたけれど、そして「下る」ことは、なんだか悲しくて、敗北のような気がして、認めたくない、と思ってきたけれど、面白がりながら下ることだってきっとできるんじゃないか? そう考えると、これから先にどんなことが起こるのかが、楽しみでたまらなくなってきました。
人は「当事者」にならないと、なかなか目の前の事実を認識することができません。もう若くない。体力が落ちる。できないことが増えてくる。そして、何より人生の残り時間が少ない。
そんな50代後半になって初めて、「下る」 ということを、自分ごととして考えるようになります。さらに「自分ごと」になったとき、それを「否定」ではなく「肯定」で考え始めます。「今」の状況に抗えば抗うほど、どんどん不幸のスパイラルに入っていきます。 そこから抜け出すための唯一の方法が、「すべてを肯定する」ということなのだと思います。
できなくたっていいさ。稼げなくたっていいさ。シワができたって、体力が落ちたって仕方がないさ。その代わり、今まで持っていたものを手放してもなお、幸せでいられる方法を探すようになります。
そんな幸せこそ、「条件」に左右されることなく、ずっと人間を支えてくれる、本物の力になるのではないか? そう思っています。だから、私はそんな宝物を探して、磨いて、輝かせ、しわくちゃのおばあちゃんになっても、「幸せじゃの~」と言っていたい。花が咲き終わったその後の時間をじっくり味わってみたいと思うこのごろです。
本記事は『人生後半、上手にくだる』(小学館)からの抜粋です
一田憲子(いちだ・のりこ)
1961年生まれ。編集者・ライター。OLを経て編集プロダクションに転職後フリーライターとして女性誌、単行本の執筆などを手がける。企画から編集、執筆までを手がける『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(共に主婦と生活社)を立ち上げ、取材やイベントなどで、全国を飛び回る日々。著書に『もっと早く言ってよ』(扶桑社)、『大人の片づけ』(マガジンハウス)、『暮らしを変える書く力』(KADOKAWA)ほか多数。暮らしのヒント、生きる知恵を綴るサイト「外の音、内の香 」を主宰。https://ichidanoriko.com/「暮らしのおへそラジオ」を隔週日曜日配信中。
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40~50代は、高齢期まではまだ時間はあるけれど、「もう若くない」「これからどうなるのか」と不安が募る年代。今までは「もっともっと」と上を目指していたけれど、いつかは「老いる」ことを受け止め、徐々に下り坂を経験しなければなりません。
この「人生後半」を、どのように受け止め、過ごしたらよいか。暮らしを見つめる人気ムック「暮らしのおへそ」編集ディレクター・一田憲子さんが、これからの自分らしい「生き方」「暮らし方」を提案します。下り始めなければならない時がきたら、
「『もう私は成長できない……』としょんぼり下るのではなく、上り道では見る余裕がなかった眼下に広がる風景をゆっくり眺めながら、ご機嫌に下りたいなあと思うのです。」(本書より)
「老いる」ことによって体力は衰え、できなくなることは増えていくかもしれないけれど、歳を重ねてきたからこそ、今までとは違った気づき、発見に出会う楽しみもあるー。50代後半となった一田さん自身も迷いながら考え気づいた、これからの暮らし、人間関係、自分の育み方、学び、老いとの向き合い方、装いなどを提案。これからの人生に明かりを灯すエッセイ集です。