• 「気がつけば人生後半、老いたって幸せになれる。楽しく下ることだってできる」。編集者・ライターの一田憲子さんが考える、人生後半からの暮らし方、老いとの向き合い方とは?
    (『人生後半、上手にくだる』より)

    「私しか知らない時間」を足し算して過ごす

    幼い頃、ひとり遊びが苦手でした。自分の世界に没頭し、妄想のなかで遊ぶことができなくて、常に誰かに見てもらい、関心を持ってもらわないと「つまんない!」と思う子供でした。

    この気質は大人になっても変わることがなく、仕事をすれば誰かに認めてもらいたいし、ご飯を作れば夫に「おいしい」と言ってほしい。常に「誰か」がいることで、私の暮らしは色を得てきたように思います。

    つい先日、夫が出張中だったので、夕飯を食べた後ひとりで「アマゾンプライム」で映画を見ました。ソファにノートパソコンを運んできて、お茶を飲みながら見た映画は「コーダ・あいのうた」。家族全員が聾啞者で、ひとりだけ耳が聞こえて口も利ける主人公が、歌を歌うことの楽しさに惹かれ、音楽学校のオーディションを受ける、というストーリーです。 家族は誰も彼女が何に惹かれ、何をやりたくて、歌がどう素晴らしいかを理解できない……。その狭間で苦しむ彼女。最後のオーディションシーンでは、手話を交えながら美しい声で、 家族に向かって歌い上げます。

    号泣しながら見終えて、「あ~、面白かった!」と映画の世界から現実へと戻り、部屋の中を見渡した時、私はポツンとひとりでした……。でも、それが決して寂しくなく、味わったのは、「ああ、この映画をこの時間に見て、こんなにも心満たされたことは、私しか知らないんだ」と深い満足感だったのです。そして、「歳をとるって、こういうことなのかも」と感じたのです。

    画像: 「私しか知らない時間」を足し算して過ごす

    今まで「誰か」の目線がないとつまらないと思ってきたけれど、こんな風に心満たされる映画を見たり、本を読んだり、おいしいお茶を飲んだり、「私しか知らない時間」を積み重ねることで楽しめるかもしれない……。歳をとって、少しずつ社会との接点が減り、自宅でひとりで過ごす時間が多くなるとすれば、「私しか知らない時間」をコツコツと足し算しながら、案外ワクワクと楽しむことができるんじゃなかろうか。そう思えました。

    知り合いが、山の中に一軒家を建ててひとり暮らしを始めました。「遊びにおいでよ」 と誘われて訪ねてみると……。まずは、近所の森の中をぐるりと散歩。「この岩の苔がきれいでね」と指差して教えてくれました。

    その後、スパイシーなチャイを淹れてくれました。ふ~ふ~と息を吹きかけながら飲む1杯はおいしかったなあ~。おしゃべりをしているうちにお昼になったので、ランチを作ってくれることに。まずは、とうもろこしをポキンと折って鍋で茄で、塩をぱらりとかけてお皿へ。その後、野菜のポタージュスープをいただき、パンケーキを焼いてくれ、バターを塗ってメイプルシロップをかけてパクリ。決してご馳走ではなかったけれど、 その時問の豊かだったこと! 帰ってからも、しばらく彼女の家で過ごした時間が忘れられなくなりました。
    彼女は都会から離れることで、自分がじっくり味わえるだけの情報量に絞り、自然と会話し、少ないものを時間をかけて味わう暮らしにシフトしていました。ひとりで過ごす山時間には、毎朝違う苔の光り方や、近所の農産物販売所で買う野菜や、お気に入りのスパイスティーなど、暮らしを豊かにしてくれる、ささやかなものがいっぱいありました。ああ、私はなんて駆け足で、いろんなものの前を素通りしてきたのだろう、と反省しました。

    あのパソコンで映画を見た日、「この時間は私しか知らない」と自然に湧いてきた感惰に、自分でも驚きました。今まで知っていた当たり前の時間の外側に、もうひとつの時間の流れを見つけたようで、「ひとり時間」というモノクロだった世界が急に色鮮やかに見えるメガネを手に入れた気分だったのです。

    私にとってその時間は、「趣味」以上の意味を持つ「発想の転換」になりそうな気がしています。「ひとり遊びが苦手」だった私は、他者の視点のなかで生きていました。そこから抜け出して、自分だけの視点へのスイッチを切り替えることは、暮らし方、生き方を根本からくるりと反転させることにもなります。

    誰にも評価されなくても、誰にも褒められなくても、私は私で自分の時間を楽しめばいい。 それは、さんざん他者の目を気にしながら山道を登ってきた後に、やっと山頂に立って、「あ~、気持ちいい~」と見下ろす風景をひとり占めしたような、清々しい発見でした。

    「もう人の目や評価を気にしないで、好きに生きていいんだよ」と自分で自分に言ってあげることは、人生後半を晴れやかに生きる、大切なターニングポイントのような気がします。

     

    本記事は『人生後半、上手にくだる』(小学館)からの抜粋です


    画像: 自分の時間を楽しめばいい|人生後半、上手にくだる/一田憲子

    一田憲子(いちだ・のりこ)
    1961年生まれ。編集者・ライター。OLを経て編集プロダクションに転職後フリーライターとして女性誌、単行本の執筆などを手がける。企画から編集、執筆までを手がける『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(共に主婦と生活社)を立ち上げ、取材やイベントなどで、全国を飛び回る日々。著書に『もっと早く言ってよ』(扶桑社)、『大人の片づけ』(マガジンハウス)、『暮らしを変える書く力』(KADOKAWA)ほか多数。暮らしのヒント、生きる知恵を綴るサイト「外の音、内の香 」を主宰。https://ichidanoriko.com/「暮らしのおへそラジオ」を隔週日曜日配信中。

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    『人生後半、上手にくだる』(一田憲子・著/小学館・刊)

    『人生後半、上手にくだる』(一田憲子・著/小学館・刊)

    『人生後半、上手にくだる』(一田憲子・著/小学館・刊)

    40~50代は、高齢期まではまだ時間はあるけれど、「もう若くない」「これからどうなるのか」と不安が募る年代。今までは「もっともっと」と上を目指していたけれど、いつかは「老いる」ことを受け止め、徐々に下り坂を経験しなければなりません。

    この「人生後半」を、どのように受け止め、過ごしたらよいか。暮らしを見つめる人気ムック「暮らしのおへそ」編集ディレクター・一田憲子さんが、これからの自分らしい「生き方」「暮らし方」を提案します。下り始めなければならない時がきたら、

    「『もう私は成長できない……』としょんぼり下るのではなく、上り道では見る余裕がなかった眼下に広がる風景をゆっくり眺めながら、ご機嫌に下りたいなあと思うのです。」(本書より)

    「老いる」ことによって体力は衰え、できなくなることは増えていくかもしれないけれど、歳を重ねてきたからこそ、今までとは違った気づき、発見に出会う楽しみもあるー。50代後半となった一田さん自身も迷いながら考え気づいた、これからの暮らし、人間関係、自分の育み方、学び、老いとの向き合い方、装いなどを提案。これからの人生に明かりを灯すエッセイ集です。



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