あいとの暮らしで、恋人との関係が近づく
「家族」というものは、作るんじゃなくて、自然と生まれるものなのかもしれない――。
猫エイズと白血病を患うあいと出会った時、私と恋人は、二十代なのに、それに見合わないほどおぼつかない不安定な生活をしていました。
趣味の演劇を最優先にし、仕事もアルバイト。お金はなく、そのうえ、私は心の病気を抱えている――。だから、ふたりは好きで一緒にいるけれど、安定だとか、永遠だとか、とうてい約束できなかったのです。
だけど、あいが来て――。毎日、あいを隔離でお世話するアパートに二人で通って、そのうちに変化が訪れました。
私は、それまで、彼の前でよそいきの私だけを見せてきました。ちゃんとお化粧をしたり、服を選んだり……。
ところが、あいのお世話が大変になってくると、そんな余裕もなくなり、毎日、眉毛すら描かず、スウェットやジャージ姿のやる気のかけらもない状態で、何よりあいを大切にしました。
最初は、不安でした。こんな素の私、愛想をつかされてしまうんじゃないか。
でも、彼の態度は、少しも変わりませんでした。しだいに彼も、コンタクトではなく眼鏡のまま、ひげもそらず、雪の中、二人ではんてんを羽織って、あいのもとに車を走らせます。おなかを壊していたあいのおもらしうんちを、顔につけては、片づけます。そうして、コンビニで買ったお弁当を、あいに横取りされながら、ぼろぼろの格好で頬張る日々。
「家族」の書類を出しにいく
私たちの距離は、どんどん近づいていきました。木漏れ日があいのアパートのベランダから差し込む、柔らかな日でした。
私と彼は、その日、ようやくそろえた書類を手に、車を走らせました。区役所に。ふたりとも、ジャージ姿で。顔も髪も整っていませんでした。
永遠を誓うには、あまりにもみすぼらしい姿のまま、私たちは「家族」の書類を提出しました。あいのアパートに帰る間中、私は車の窓を全開にして、思いつく限りのラブソングを歌いました。
それは、恋人同士のものだけではなく……子どものいる、家族の歌。里親さんとのご縁が難しくなって、決めた大事なこと。
私たちは、あいを迎えると決意して、はじめて未来をみつめました。
アパートに戻ると、何も変わらない、だけど何かが大きく変わった私たちを、あいが大急ぎで迎えにきます。
「来たよ」。なでても、あいは、もうビクつかない。私も、もうアレルギーは出ない。私たちは、「来たよ」に変わる言葉を、少しずつ考えはじめていました。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」