眠気をこらえる猫の姿に、暮らしを変える決心をする
出会った時は、あんなにも怖がりで、眠ることすらできなかった、猫エイズと白血病のあい。一緒に過ごす時間が増え、変わってきたことがありました。それは、別の「眠れない」ができたこと。
あいは、私がいる間中、子猫のようにはしゃぎまわりました。ボールを追いかけたり、羽根のおもちゃにじゃれついたり……。
そして、遊び疲れて、ついうとうとなってくるのですが……、あいは、眠りませんでした。半開きの目で、必死で体を起こして、私が立ち上がると、ハッとなって駆け寄ってくるのです。
まるで――。「眠ると、私がアパートから帰っちゃうと思ったの……?」。あいは、私の体にぴったりと寄り添うと、大きなあくびをかみ殺しました。
猫のために、仕事と暮らしを整える
これ以上、あいを隔離させておくわけにはいかない。迷いの中での第一歩でした。籍を入れた私たち夫婦は、病気のあいの一生を支えていけるよう、仕事を整えようと決めました。
彼のほうは、技術職だったので安心でした。問題は私。高校を中退して学歴もなく、しっかりとした職についたこともない。そのうえ、心の病を患って、家から出ることもままならない状態でした。
そこで、私はインターネットの在宅ワークの求人に片っ端から応募をしていきました。データ入力から、やったこともないウェブデザインまで。ほとんどの会社から連絡はありませんでした。あってもテンプレートのお断りだけ。
私の前に立ちはだかる「おまえなんて、この世に必要ない」のメッセージに、心が重く落ち込みます。
ちゃんと学校に行っていれば。
仕事を、もっとしていれば。
心の病気なんかにかからなければ。
積み重なるネガティブな感情。だけど思うのです。「もしそうなら、きっと、今の私たちはいなかったよね……」
諦めかけていた就職先が決まる
それから気が遠くなるほどの時間が過ぎました。何度も絶望し、自分を責めました。
ある日のことでした。私は、ショートケーキをお土産にあいのアパートを訪れました。諦めかけていた在宅ワーク。それが、運よく、雇ってもいいという会社が現れたのです。
ケーキの生クリームを、あいは女の子らしく、ぺろぺろとおいしそうに食べます。鼻につけて、ぷるると顔を振りました。今度は私のほっぺに飛び散ります。
あいと先住猫と暮らす家も、私と夫は決めてきました。畑とたんぼしかない田舎にある、小さな一軒家でした。スーパーも駅も遠いけれど、鳥や虫たちが心地よさそうに生きていました。
もう、どこにも帰らない。これからは、あいのいる家に、私たちが「帰る」。
思い返せば、私は子どもの頃、歪んだ家庭環境の中で育ち、自分の家に居場所がありませんでした。ずっと、「帰りたいと思える場所」を探していました。
外で生きていた、あいも、きっと――。「ただいま」を言える場所。ひとりきりで生きていた私たちに、ようやくそれができたのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」