(神尾茉利・著『刺繍小説』より)
見えないものを見るたのしみ
大好きな小説の中に刺繍のシーンを見つけたその日から、私の鼓動はずっと駆け足を続けています。
刺繍描写のある小説を「刺繍小説」と名付け、出会っては、
この登場人物が刺す刺繍は、一体どんな刺繍だろう?
その刺繍をこの目で見たい。
そしてみんなに知らせたい……
刺繍小説のことを!
そう息巻く私は、刺繍小説を探し、読んで、妄想し、刺繍して……
そうして生まれた3つの物語の3つの刺繍たちです。
『円卓』
西 加奈子<文藝春秋>
これからそれを
刺繍しようとする女だ。
インスピレーションに突き動かされ、全身全霊を込める朋美の刺繍はまるで武道だ。
私は興奮に震える手で『円卓』 を閉じた。
刺繍は紅茶が似合う可愛いもの……という固定概念を黙認してきた私は、アツイ〝刺繍小説〟との出会いに心底感動していた。
つやつやの黒とふわふわの黒、漆黒に映り込む景色、小さな硬く細い毛。
朋美の目が対象を余すところなく舐め尽くし、朋美の指が熱情を刺繍へぶち込む。
その刺繍道があまりにもかっこよくて、「この蟻を刺繍したい」と思わずにはいられなかった。
『あの家に暮らす四人の女』
三浦しをん<中央公論新社>
刺繍をするときの
やわらかく
丸い背中のカーブは、
うずくまった
ウサギのフォルムに
そっくりだ
誰かに認めて欲しい。
いや、自分がたのしければいい。
『あの家に暮らす四人の女』の佐知に陶酔した私は、現実と物語のあいだで佐知に代わって葛藤していた。
その日は初めて挑戦したサテンステッチの人物が思いのほか可愛く仕上がって、それだけで一日がいい日に思えた。
完成間近の刺繍をパチッと撮影してSNSに載せると、ピコ、ピコっと好印象を示すハートマークが届く。
ハートに目が眩んでいると縫い目が歪んでしまったけれど、それでも浮かれている私は、誰かのことも自分のこともたのしませたい欲張りのようだ。
『海賊と刺繍女』
ジェイン・ジョンソン/最所篤子 訳<集英社文庫>
登山家のような粘り強さで
一歩ずつ慎重に歩みを進め、
果てしない道のりを思っても
パニックに陥ってはならない。
私が初めて刺繍をしたのは、大学を休学して途方に暮れていたときだ。
なんでも無い布が自分の布になっていくよろこびに、休んでいた脳がピチピチと動き出し、刺繍をしているあいだは孤独を忘れたものだった。
私は『海賊と刺繍女』のジュリアが不安を鎮めるために刺繍をする場面に栞を挟むと、濃紺の布を広げた。
布には刺しかけの孔雀の羽根が舞っている。
すぐに終わってしまうのがさみしくて、時間がかかる細かなチェーンステッチを選んだ。
糸の輪が均等に並ぶことだけに集中して針を動かすと、私はこの刺繍で世界のどこへでも行ける気がした。
<撮影/Naomi Circus>
神尾茉利(かみお・まり)
美術家。刺繍・絵・言葉によるクライアントワーク、テキスタイルプロダクト制作、インスタレーション作品の展覧会などで活動。“言葉を持たない物語”をコンセプトに刺繍で動物を表現する「ひみつのはなし」を2014年より本格化し発表の場を広げている。著書に『ひみつのステッチ 刺しゅうで雑貨&小物づくり』(パイ インターナショナル)、『紙刺繍のたのしび』(共著/ビー・エヌ・エヌ新社)、『さがそ!ちくちくぬいぬい』(学研教育みらい)、『刺繍小説』(扶桑社)など。
インスタグラム:@kamio_mari
オフィシャルサイト:http://kamiomari.com/
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