(『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より)
たにゃと僕の日々
ここには、キラキラした表情の猫も、映える景色もありません。
あるのは、僕が毎日小さな命と向き合いながら何気なく撮った写真ばかり。
当時は本になるなんて考えもしなかったから、、、フォトエッセイといっても、載せられるのは少し型遅れのiPhoneで撮った写真だけ。
でも、飾らないから、ありのままだから、伝わることもあるのだと思います。これが歌舞伎町で生き抜いた野良猫のリアルな姿。
そもそもTwitterをはじめた理由は、、、記録。君がここに生きていた記録を残すこと。
小さな命に向き合ってるときは、僕自身も素直でいられました。そしてその小さな命の声が徐々に広まって、、、いろいろとトラブルも多いSNSの世界だけど、僕たちのTwitterは優しい言葉に包まれていました。
たにゃ、もうひとりじゃないよ、、僕はもちろん、みんなが応援してくれている。みんなが名もなかったおまえを、たにゃって呼んでくれているんだ。
僕とたにゃは「こんなことってあるんだね?」って顔を見合わせて。僕たちの物語をどうぞご覧ください。
2022.2.15
出会ったのはちょうど1年前ぐらい。
突如僕の前に現れた。
普段野良猫を見てもなんとも思わないんだけど、、
その時の俺は相当弱ってて、、、
誰かと話したかったんだろう。
コンビニで猫缶買ってあげてみた、からのつき合い。
2022.2.19
歌舞伎町でひとりで生きている。
俺と出会うまでご飯はどうしてたの?
ずっと俺の前に現れてくれよ。
ご飯の心配はないからな。
パパさんのこのときの気持ち
今でも、不思議で、わからないこと、、、。それはどうやってご飯を食べて、どうやって生きてこれたのか? この環境で、、
2022.2.26
なぜかお皿に入れた水を飲んでくれない。
泥水なんて飲まないでおくれ、、、
ただ今までこうやって生きてきたんだと
教えられてるような気がした。
泥水を飲んででも「生きてやる」。その執念を感じる。
ただその姿に胸が張り裂けそうだ、、、
2022.2.28
歌舞伎町の野良に出会って1年。
ほんの少し、、ほんの少しですが光が見えてきました。
屋根のある場所で僕ら一緒に過ごせるかもしれません。
薄汚れたおっさんと薄汚れた野良猫ですが、応援よろしくお願いします。
外が寒かったり、雨だったり、出張でご飯をあげられなかったりすると胸が締めつけられる思いに。
残された数日でも暖かい部屋でゆっくり寝かせてあげたい。
最後は「色々大変だったけど生まれてよかった、、」そう思ってほしい。
早く迎えたい。おっさん頑張る。
この世は不公平。
戦争がはじまる国に生まれる子、
親がいない子ども。
犬や猫だって。
床暖房で寝ている猫もいれば、残飯をあさってる猫だっている。
なんなんだろう、、いったい、、、。
本記事は『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(扶桑社)からの抜粋です
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【スペシャルインタビュー】
「たにゃ」とともに暮らすことになって、10か月。「たにゃ」と「僕」との現在の暮らしについて、たにゃパパさんに伺いました ⇒
たにゃパパ
関西出身、現在は東京に暮らす。歌舞伎町で働いて20年ほど。実家で犬と暮らしていたことはあるけれど、猫と暮らすのは「たにゃ」がはじめて。2022年2月からたにゃのことを綴ったtwitterを開始し、2023年7月現在、フォロワーは1万6000人。はじめての著書『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(扶桑社)を2023年8月に発売。
ツイッター:@kabukinoraneko
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人生をあきらめた「僕」は喧騒の街でひとり生きる猫と出会った。それは「君」が起こした奇跡。Twitterで話題、歌舞伎町に生きる野良猫とおじさんの泣けるフォトエッセイ。