(『明るい方へ舵を切る練習』より)
本と鉛筆はセットで
私は本を読むとき、「これは完全保存版だな」と思ったら、鉛筆を持ち出してきます。そして、いいなと思ったフレーズに線を引きながら読みます。最近、鉛筆を握りしめながら、「ああ、なんていい本だろう」と読んだのが、東畑開人(とうはたかいと)さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書)でした。
「まえがき」には、「聞く」と「聴く」という使い分けが書いてありました。ああ、「聴く」っていう方が大事、って話よね……と思いながら読んでいると、これが大違い! この違いを東畑さんはこう書いていらっしゃいます。
「『聞く』は語られていることを言葉通りに受け止めること、『聴く』は語られていることの裏にある気持ちに触れること」
その上で、こう書いていらっしゃるのです。
「どう考えたって、『聴く』よりも『聞く』のほうが難しい」
どうしてかと言うと……。
「つまり、『なんでちゃんとキいてくれないの?』とか『ちょっとはキいてくれよ!』と言われるとき、求められているのは『聴く』ではなく『聞く』なのです。そのとき、相手は心の奥底にある気持ちを知ってほしいのではなく、ちゃんと言葉にしているのだから、とりあえずそれだけでも受け取ってほしいと願っています。言っていることを真に受けてほしい。それが『ちゃんと聞いて』という訴えの内実です」
は~、なるほど! と思いました。世の中では、話を聞くことができずに困っている人たちと、話を聞いてもらえずに苦しんでいる人たちが、とても多い……。
そして、問題はここにある、と東畑さんは綴っています。
「『聞く』が不全に陥るとき、実際のところ、僕らは聞かなきゃいけないと思っているし、聞こうとも思っています。それなのに、心が狭まり、耳が塞がれてしまって、聞くことができなくなる。自分ではどうしようもできなくなってしまう。これこそが、問題の核心です」
そして。続く3行に私はしばし呆然としてしまいました。
「ならばどうしたらいいか? 結論から言いましょう。聞いてもらう、からはじめよう」
そうか、心が狭まり、聞くことができなくなってしまったときは、誰かに聞いてもらえばいいんだ……。それは、とてもやさしい、ほっとする言葉でした。私、人に話を聞いてもらえばいいんだって。
でも実は、これが苦手なのも事実です。どうしても「自分でちゃんとしなくちゃ」と思ってしまう。でも、東畑さんはこう言われます。
「あなたが話を聞けないのは、あなたの話を聞いてもらっていないからです。心が追い詰められ、脅かされているときには、僕らは人の話を聞けません。ですから、聞いてもらう必要がある。話を聞けなくなっているのには事情があること、耳を塞ぎたくなるだけのさまざまな経緯があったこと、あなたにはあなたのストーリーがあったこと。そういうことを聞いてもらえたときにのみ、僕らの心に他者のストーリーを置いておくためのスペースが生まれます」
ああ、私は誰かに話を聞いてもらおう。「悪いから」なんて言わずに、「ねえねえ」と声をかけてみよう。そうやって、自分の心がちょっと軽くなったら、私は、誰かの話を聞けるようになるかもしれないから。そう思いました。
鉛筆で線を引き、すべての言葉が自分の中に染み込んでいくのを感じながら読了しました。こんなにも一文一文が、力となり、明日の役に立つ……。私もこうやって、どこかの誰かのお役に立てる文章が書けるようになりたいと思った一冊でした。
本記事は『明るい方へ舵を切る練習』(大和書房)からの抜粋です
一田憲子(いちだ・のりこ)
1964年京都府生まれ兵庫県育ち。編集者・ライター。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーライターに。暮らしまわりを中心に、書籍・雑誌で執筆。独自の視点による取材・記事が人気を得ている。『暮らしのおへそ』(主婦と生活社)では編集ディレクターとして企画・編集に携わる。著書多数。近著に『人生後半、上手にくだる』(小学館クリエイティブ)、『もっと早く言ってよ。50代の私から20代の私に伝えたいこと』(扶桑社)がある。
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ほんの少し、考え方の方向を変えるだけで、幸せな今日がやってくる。ままならないことも多い日常を、いかにして機嫌よく乗り切っていくか。「暮らしのおへそ」編集ディレクター・イチダさんが、一年を通して暮らしの中での発見と工夫を綴った実践録。