大人の猫が家に来た時のこと
私の実家は、ずっと、みゅうという猫の一匹飼いでした。
社宅だったし、これ以上増やすことはできない。そう思っていたのですが、ある買い物の帰り、突然、白黒の猫がちょこちょこと後ろをついてきて、ドアを開けるとあたりまえのように家の中に入ってきたのです。
そして、これまた決められたように、我が家の居間に居座りました。
その子には、首にミサンガが付けられていました。きっと飼い猫だったのでしょう。人懐こいその子の元の飼い主を必死で探しましたがみつからず……その子、「ショコラ」は我が家の次女になりました。
ショコラは大人になってから家に来ただけあって、自分をしっかり持った猫でした。
最初の頃は、私も「ショコラの言葉ってわかんない!」とお手上げになるほど。
でも、その後、子猫がくるたび世話を焼き……特に、毛づくろいと称して、ひげを引っこ抜くのが好きな、肝っ玉母さんになりました。
それから時は過ぎ――。私も独立し、家を出てしばらく。父と母は離婚をしました。
ショコラも含め数匹いた猫たちは、みんな、母のもとへ。あばら家――でも良く言いすぎなほどボロボロの一軒家で、ショコラたちは、狭くなった二部屋を行き来しました。
母の離婚と猫の腎不全
その頃でした。ショコラの腎不全が分かったのは。
母は自分を責めました。自分が離婚で大変な時だったから、ショコラのことにまで気づけなかった。もっと早く気づけてたら、何かすることができたかもしれないのに。
母は陶器で人形を作る作家でした。作家というと大げさですが、専業主婦をしながら、時々個展を開くほど才能を開花させていました。
それでも、そのことが、亭主関白な父には気に入らなかったのかもしれません。
ある時、お酒によった父は、母の作った人形を、二階からすべて落として割りました。雨の日、外に出たことのない猫たちを、無理やり家から追い出しました。
その場所に「安心」はありませんでした。
だから――思うのです。たとえ、人に自慢できるような高価な場所があっても、それがしあわせとは限らない。
ショコラは、おんぼろ家に来たけれど、仲良しの姉妹たちとしあわせそうでした。安心を手に入れました。
母が陶人形作家になったのは、五十歳を超えてからです。ショコラが我が家に来てくれたのも、すっかり大人になってから。
命は、いくつになっても、やりなおせるのです。
もっと、楽しい方へ。自分らしい方へ。
狭い家で仲良しの家族と身を寄せ合って、ショコラは最期のときを過ごしました。おんぼろ家は、雨風で揺れます。だけど、怖くない。
本当に自分を愛してくれる人だけが、そばにいてくれるから。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」