学校帰りに子猫を拾い、一軒一軒里親を探した
生後2か月にもならないトラ柄の子猫。私がその子を学校帰りにみつけたのは、小学三年生のときでした。
当時から、猫を見ると手を差し伸べずにはいられなかった私は、そのときも、迷わずその子を抱きかかえました。そして、幼いながらに決めたのです。新しい家族をみつけようと。
うちに連れて帰ることは考えられませんでした。
というのも、父が厳しい人で、かつて子猫を拾って連れ帰ったとき、「捨ててこい」と真冬の夜に、私がちゃんと「捨てる」まで目を光らせた一件があったからです。
「今度こそは、助けたい」そう思いました。
ランドセルを背負ったまま、子猫を抱いて、一軒一軒、チャイムを押して回ります。
「すみません。子猫、飼ってくれませんか?」
ほとんどの家が、インターフォン越しに、断わられました。ひとりだけ、高齢の女性が玄関先まで出てきて、優しく接してくれたけれど――家族として引き取ることは無理でした。
今なら、そして大人なら、こんな非常識で、かつ安心できない里親探しはありえないことですが、そのときの私の精一杯ですべてでした。
そうこうしていると、話を聞きつけた高学年の女の子が、子猫を欲しいと言い出しました。私と遊びにいったこともある子。
でも、私の中でその子はちょっとした「いじめっこ」で、私にもきつくあたったその子に、猫を託すということが不安に思えてしまったのです。
私は、自転車のかごに猫を乗せ、逃げました。
そして、やっぱり、一つ覚えで、あらゆる家のチャイムを押して、飼い主さんを探そうとしました。
茜雲の中に、夜の気配が漂ってきます。
これ以上、外にいたら叱られる。でも、連れ帰ったら捨てられる。八方ふさがりでした。
そのうえ、子猫はお腹が減ったのか、にいにい鳴きはじめました。停めたスーパーマーケットの駐車場で、私の涙腺も崩壊します。助けたい。でも、お金を持たない私は、この子のお腹をふくらませてあげることもできない。私は無力だ。
誰かの好意の千円札で、猫にごはんを買ってあげられた
そのときでした。ふと目を離した私の自転車のかごに、千円札が一枚入っていたのです。
びっくりしました。きっと、誰かが落としたんだ。私はその瞬間、それを悪いことだと心のどこかでは分かりながら、ばれないように握り締めました。
スーパーに入り、猫用缶詰を買います。あげると、子猫は嬉しそうに、のどを鳴らしながらむさぼりつきました。
私の行く先なんてばれていたのでしょう。しばらくすると、私の母と、その女の子がやってきました。
母に諭され、子猫をその子に渡すよう言われても、私は安心できません。この子は、猫をいじめるかもしれない。その気持ちがぬぐえないのです。
でも、その女の子は泣いていました。目に涙をいっぱいためて、「ミルク」と、子猫につけたのだろう名前を呼びました。
自分しか信じていなかった私。急に恥ずかしくなります。きっと、この女の子は、本当に子猫を愛そうとしてくれている。
それにさっきの千円札。あれだって、おそらく誰かが事情を察し、そっと分からないように置いていったのだと。
子猫を守れるのは自分だけだなんて、なんて思い上がりなんでしょう。
みんながいたから、この子猫は、いつかの子猫のようにならなくてすむのに。
里親探しは、人を信じる気持ちを教えてくれます。
悲しい事件も多い現代だけど――子猫を拾った子どもの親が、「捨てる選択」ではなく、未来へつなぐ道を教えてあげられればいいなと思います。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」