「いま」と「60歳から」のわたしに必要なものを絞る
大きな家、広い部屋も魅力的ですが、年齢とともにコンパクトな住まいがいいと考えるようになりました。東京に戻ってくる時に選んだところは、共同住宅の一室・コンパクトな空間です。以前の家の1/3ほどの広さになったのは、前回、書いた通りです。
一旦、運びいれた家具も、この半年で「優先順位」をつけ、再考することになりました。置くことで不便を感じる物、いまはなくてもいい物は、しばらく別の所で保管することにしました。それを経て「いまのわたし」と「60歳からのわたし」に本当に必要な物をこの1、2年で選んでいく予定です。
別の場所に移したのは、3人掛のソファーです。25年使っている物で、座り心地もよく気に入っています。長い時間のなかで、2度ほど生地を張り替えました。気に入っていますが、やはり、いまの部屋に置くと窮屈さは否めません。どなたかにゆずることも検討しつつ、当面は保留にしています。
ソファーがなくなり、部屋が広くなり、しばらくは「このままソファーはなくてもいい」と思いました。でも、最近になり、ひとり掛のソファーはあるといいかもしれないと思うようになりました。
ゆっくりすごす時間、疲れて帰ってきた際、部屋で映画を観る時。やはり、ソファーがあるといいのです。床にラグを敷き過ごすのもいいですが、一度、座ってしまうと次の動作に移る時に「えいっ」と気合を入れないと立ちあがれません。もう少しかろやかに動きたいと思うと、ソファーがあるといい気がします。
かと言って、重く大きなソファーはこれからは負担です。実際3人掛のソファーは、わたしにとっては動かすのが大変な家具なのです。
人生最後にともに過ごす家具について
ソファーで思い出すことがあります。父が介護施設に入った際のことです。都内の比較的新しい施設に父はある時期からいました。部屋には、ベット、タンス、チェスト。それに座面が広い椅子がありました。施設の方からは座り慣れたソファーや椅子があれば、自宅から持ってきていいと言われていたのですが、実家にある椅子は、ひとつは重く大きなソファー、もうひとつは、軽いダイニングチェアでした。どちらもその時の父には不向きでした。
ダイニングチェアは、立つことが不安定になった父には、体重がかかると倒れる危険性があります。重く大きなソファーは、施設の部屋には入りません。入ったとしても介護の方の動きを制限します。
結局、父は、施設にある椅子ですごしました。何とも言えない気持ちでした。人生の最後になりそうな時間に使うものが、思いのない、思い出もない、椅子になってしまったことが。
施設の家具には、施設なりに選んだ理由があると思います。椅子に関しては、体を支えられる構造・重さが必要であり、汚れても拭きやすい座面であり、次に入居される方も使えようキズがつきにくい物である、などです。そういう理由で使われているのは理解しています。でも、もう少しそこに──美しさや、手ざわりや、座り心地のよさ──があってもいいと思うのです。
ある日、そのことを友人に話したら、北欧では老人ホームに入る時、自分の家の家具一式を持ちこめるということを教えてくれました。気に入った、使い慣れた家具で、残りの時間をすごせるように。
父のことや北欧の話しを聞き、時折わたしは「自分の最後の椅子」に思いをめぐらすようになりました。人生は自分の思い描いたように進まないことが時としてあります。窓辺にひとり掛のソファーを置きゆっくり本を読んでいる姿を思いうかべながらも、実際、わたしは、晩年、どんなソファー(または椅子)といっしょにすごしていくのでしょう。できれば「最後の椅子」があることを願います。
60歳までのメモ
1 自分に必要な家具を見直してみる
2 必要な数を考える
3 機能を「優先事項」に加えてみる
4 あると「うれしい」も大切に
5 どこかに移るとしたら持っていきたい物を考える
広瀬裕子(ひろせ・ゆうこ)
エッセイスト、設計事務所岡昇平共同代表、other: 代表、空間デザイン・ディレクター。東京、葉山、鎌倉、香川を経て、2023年から東京在住。現在は設計事務所の共同代表としてホテルや店舗、レストランなどの空間設計のディレクションにも携わる。主な著書に『50歳からはじまる、新しい暮らし』『55歳、大人のまんなか』(PHP研究所)他多数。インスタグラム:@yukohirose19