飼えなくなってしまった猫の行き先探し
我が家にはこれまで、飼い主さんがお亡くなりになられたり、ご病気になったりと、飼えなくなってしまった動物がやってくることが何度かありました。
今いる黒猫のトトも同じ経緯。
前の飼い主の男性がある日路上で吐血して倒れ、そのままICUに。しばらく意識も回復しないほどの生死の淵をさまよいました。
飼い主さんはひとり暮らしだったので、その間、トトはひとり、家に取り残されました。
運が良かったのは、飼い主さんが倒れたのが外だったこと。飼い主さんはすぐに病院に運ばれ、トトが家にいることも分かりましたが、もし家の中でひとり倒れていたら、飼い主さんもトトも、助けてもらうことはできなかったかもしれません。
トトは、飼い主さんのお姉さんからの連絡で、飼い主さんが親しくされていた近くの居酒屋さんの店主さんが、毎日お世話に通うようになりました。店主さんも忙しい身。それでも、一日も欠けることなく、ごはんを与え、時に遊び、ひとりぼっちのトトの心を包みました。
それでも、いつまでもこうしているわけにはいかない。
飼い主さんが、これから先、トトとともに暮らすことが難しいとなったとき、居酒屋の店主さんは里親さんを探そうと決意しました。
その時点で、トトはもう16歳。何があってもおかしくないおじいちゃんです。
店主さんは、猫のことも詳しくなければ、里親探しもしたことがない。そこで、常連さんである私の母に、そのことをちらりともらしました。そして、私の耳にもその話が入ってきたのです。
最初は、里親探しのお手伝いができればと考えました。ですがもう高齢の猫。里親探しは難しいかもしれない。
そのうえ、その時は一月の極寒の時期でした。これ以上、里親さんがみつかるまで、寒い部屋でひとりにしたくない。私と夫は、トトを迎えることに決めました。
我が家の一員になった16歳の猫
かくして我が家の一員になってくれたトトでしたが、心配もありました。
トトは、これまで一匹飼いで悠々自適に暮らしてきました。我が家にはたくさんの猫がいます。もう高齢のトトのバランスを崩してしまうのではないかと。
ですが、その心配は杞憂でした。トトは他の猫には興味を示しませんでしたが、夫にとても懐き、いつも顔の横で寝る日々。
そうして今では18歳になりました。
そんな矢先、我が家に子猫たちがやってきました。これまたトトのストレスになるのではと危惧しましたが……ふと見かけた眠るトトのお尻には子猫がぴったりと寄り添って眠っていました。
トトにとって、はじめての猫とのふれあい。猫のぬくもり。まんざらでもないふうに、トトはすやすやと寝息をたてていました。
飼い主さんがご病気になり、けっしてしあわせではなかったかもしれないトト。
でも、居酒屋さんの店主さんがいて、母がいて、私たちがいて、そして子猫がきて、トトの新しいしあわせがはじまりました。
18歳。猫生は、まだまだこれからです。
時々、ご実家で静養している飼い主さんにトトの写真を送ります。一緒には暮らせなくても、トトは飼い主さんのかわいい子。
トトには、お父さんがふたり、いるのです。
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」