(『天然生活』2022年1月号掲載)
ていねいに整える
日常生活に禅を取り入れる場合、ていねいな行動を心がけるのが基本です。「たとえばコップを持つとき、ていねいに、指の先までそろえて両手で持つのは、意識が向いているからこそできること。
ていねいは、物に敬意を払う気持ちなのです。そうやって体で表現していると、茶葉が育つ自然環境があって、育てた人がいて、コップをつくっている人がいて……と、自分がひとりでは存在できないことをつくづく感じるもの。ていねいさは、いかに配慮するかにつながっていきます」。
気をつけたいのは、「ゆっくり」=「ていねい」とは限らないこと。むしろ「素早く、ていねいに」行動することで、思考が入る余地を防ぐことができます。
宣言をすると、意欲がわいて行動しやすくなる
禅では、掃除、料理などの修行行為をする前に、「偈文(げもん)」というお唱えごとをします。いわば修行に向き合う前の、心がまえのようなもの。
毎日のように行っていると、修行僧であってもそれが当たり前の行為になってしまうため、一回声に出すことで意識の上にあげて、自分自身を軌道修正するそうです。
「心理学的に見ても、宣言するとモチベーションが上がることがわかっています。また、やらざるを得ない状況に自分をもっていくきっかけにもなります。たとえば実践しにくいことなどは、自分のなかになら、いくらでも隠しておけるから、意識して外に出すことが大切。ToDoリストも宣言のひとつであり、行動を促す効果があります」
簡単なことはリストにし、少しハードルが高いことはだれかに宣言するなど、使い分ける手も。
物のたまり場に毎日触れると、心が落ち着く
書類などがどんどん積み重なってしまうのは、そこに触っていないから。
「視野には入っているのに、面倒くさいから触らない、見て見ぬふりをしているという状態です。捨てる、捨てないの判断のしんどさと、向き合っていないのですね」とズバリ指摘する吉村さん。
そのままためつづけてしまうとかえって片づけが大変になるので、一日一回、点検のつもりで手をつけるようにするだけで、解決に向かうのだといいます。
「考えずに触ってみる、毎日ぱらぱらとめくってみるだけで、必要のない書類に気づくことがあります。判断を保留にしていた書類が日々、出てくるからです」
お寺の堂内は、余計なものがない、すっきりとした空間。人は、物がない空間を見慣れることで、少しずつ意識を変えていくこともできるのです。
玄関を整える一歩は、靴をそろえることから
「玄関」は仏教から生まれた言葉。「玄」は深い悟りを、「関」は関門を表し、修行道場へ入門する者にとって、深い悟りに入るための関門という意味があります。
一般家庭でも玄関はその家の第一印象を決めるので、きれいに整えたい場所です。外からの汚れが舞い込み、汚れやすい場所でもあるので、極力物を置かずに、掃除がしやすい状態を保つのが理想。
「それが難しい場合は、玄関の靴をそろえることから始めてみてください。たとえば公共施設でも、たくさんのスリッパが並んでいるときに、だれもがなぜかそろっているスリッパから履くものなのです。やはり人は、そろっているものが美しいと錯覚するのですね。脱いだ靴を、いったん座ってそろえることは、自分を律することでもあります。そこから変えていくことで、ていねいに整える心地よさを経験しましょう」
<監修/吉村昇洋 取材・文/石川理恵 イラスト/紙野夏紀>
吉村昇洋(よしむら・しょうよう)
曹洞宗八屋山普門寺副住職であり、公認心理師、臨床心理士として精神科病院に勤務。『心とくらしが整う禅の教え』(オレンジページ)ほか著書多数。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです