夏に保護した子猫が体調をくずしてしまい
新しい年のはじまり。
今年は、今までで一番、ただ年を迎えることができることをありがたいと噛みしめる年でした。元旦に起きた能登での震災はもちろんのことですが、私が住む大阪の片田舎。我が家でも、小さなばたばたがありました。
夏の終わりに保護した三匹の子猫のうちの一匹、「ユキ」が体調をとても崩してしまったのです。
はじまりは大晦日。いつもは三匹一緒に元気いっぱいにはしゃいでいるのに、ユキだけなんだかついていけない。食欲もいまひとつなく、大好きなウェットフードを持っていっても口をつけようとしなかったので、指でぬぐって、口元につけ、ペロペロと舐める姿を見てほっと胸をなでおろしました。
やがて、くしゃみを繰り返しはじめたのですが、ワクチンは打っている子。大晦日で開いている病院もなかったこともあり、少し様子を見ようと部屋を最大限にあたたかくして紅白歌合戦を流しながら、まんじりともしない時を過ごしました。
お正月に開いている救急病院へ
さらに、私は、十二月の半ばの長老猫の死をきっかけに、うつ状態が引き続いていました。なんとか終わらせるべき仕事はし、おせちも気合いで作ったのですが、気持ちはまだ不安定。
しんどそうなユキを見ていると、もしものことが頭をよぎり、年越しを待たずに、ユキを抱いて寝室に行きました。
毎年、零時になると同時にビデオカメラを回し、新しい家族の報告を動画におさめていた私たち夫婦。その年は四匹も増えたのに何もできず、私の心は重い闇の中にいました。
そして、お正月。
目を覚ました私の目の前には、はあはあと息苦しそうなユキがいました。
青ざめて、ウェットフードを持ってきます。水分補給のムースタイプのもの。口元につければ今までなら食べてくれたのですが、今日はそれすら顔をそむけます。気がおかしくなりそうでした。
慌てて夫を呼び、お正月でも開いている救急病院を探します。「あけましておめでとう」の一言もない。私はただ泣きじゃくり、前日、病院を探さなかったことを後悔しました。
病院に着くと、患者の私たちの気持ちを察するのでしょう。病院の方は、誰ひとり「あけましておめでとうございます」とは言わず、「おはようございます」と、いつもの変わらない一日のように私たちを迎えました。
その気遣いに私の胸も落ち着きます。朝が来るしあわせ。あたりまえのように日が変わり、そこに愛しい子がいる喜び。
病院の待合室には新年とはそぐわない悲しい顔をした人たちがぽつり、ぽつりと座り、大切な我が子を抱きしめていました。
ユキは点滴と注射をしてもらうことで、しだいに回復していきました。
うつと闘いながら、子猫の看病をするお正月に
私は、うつで起き上がるのもやっとのなか、朝と夜だけは這いつくばるようにして体を起こし、ユキに薬を飲ませます。
年末、必死で作ったおせちは、夫と元気な猫たちで食べ、その様子を写真に撮っていてくれました。ベッドでそれを見、私は涙を流します。
あれから半月がたちました。
亡くした老猫のことからきたうつは、まだ治る気配がありません。ベッドに沈みながら、ネガティブな感情も湧き上がってしまいます。
それでも、隣を見れば、元気になったユキ、そして家族たちがいる。そのしあわせに今日もささやくのです。
「今日も、おはようございます」
咲セリ(さき・せり)
1979年生まれ。大阪在住。家族療法カウンセラー。生きづらさを抱えながら生き、自傷、自殺未遂、依存症、摂食障害、心の病と闘っていたところを、不治の病を抱える猫と出会い、「命は生きているだけで愛おしい」というメッセージを受け取る。以来、NHK福祉番組に出演したり、全国で講演活動をしたり、新聞やNHK福祉サイトでコラムを連載したり、生きづらさと猫のノンフィクションを出版する。主な著書に、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)、『それでも人を信じた猫 黒猫みつきの180日」(KADOKAWA)、精神科医・岡田尊司との共著『絆の病──境界性パーソナリティ障害の克服』(ポプラ社)、『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました──妻と夫、この世界を生きてゆく』(ミネルヴァ書房、解説・林直樹)、『息を吸うたび、希望を吐くように──猫がつないだ命の物語』(青土社)など多数ある。
ブログ「ちいさなチカラ」